感受性の衰え

友人が薦めてくれた下の詩。
読まされたときは何となく読んだけど、今日なんでもなく丸の内を歩いていたときに思い出した。
染みた詩って、心に折れ目のように刻み込まれるんだな。

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「自分の感受性くらい」 茨城のりこ
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
http://uraaozora.jpn.org/poiba4.html
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時を無駄にしてはいけない。
弱い心を何か違うもののせいにするな。

春夏秋冬

下記、まるっと転載。
今になってわかる、この歌の奥深さ。
俺は何を始めるのだろうか。
何を終わらすのだろうか。

———ここから————————-

季節のない街に生まれ
風のない丘に育ち
夢のない家を出て
愛のない人にあう

人のためによかれと思い
西から東へ かけずりまわる
やっと みつけたやさしさは
いともたやすくしなびた

春をながめる余裕もなく
夏をのりきる力もなく
秋の枯葉に身をつつみ
冬に骨身をさらけだす

今日ですべてが終るさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてが始まるさ

季節のない街に生まれ
風のない丘に育ち
夢のない家を出て
愛のない人にあう

横目でとなりを のぞき
自分の道を たしかめる
また ひとつ ずるくなった
当分 てれ笑いが つづく

きたないところですが
ヒマがあったら寄ってみて下さい
ほんのついででいいんです
一度よってみて下さい

今日ですべてが終るさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてが始まるさ

———ここまで————————-

諦めと、憧憬と希望の狭間。

吾唯足知

幸せと死は紙一重のところにある。

幸せは永遠には続かない。
破綻は、常に頬ずりするほど傍にある。
血が流れる、肉と肉の間に皮一枚を隔てて破綻が流れている。
強かに。静かに。

普段僕たちはそれに気付かないだけだ。

即ち、幸せと死はほぼ同じ所にあって、同じようなものだということ。

「無いものを有ると妄想し、いずれ滅びるものに永遠を望む所に苦が生まれる。」

と仏陀は言った。
幸せと死を相対に見るから心が乱れるんだと。

もう少し大きな視野で、今この瞬間を瞬間として「得る」。
足ることを知る。
今ある幸せを、生を享受する。
そして今を精一杯生きる。

きっとそれが出来たらどんな時でも心は平静で、幸せだ。

その心構えが今、僕には必要だ。

(とはわかっているが、なかなかどうしてそうはいかない。)

人生皆蜉蝣

二月に母の癌が発覚した。
最初の医者曰く、

「○くらいもてばいいでしょう(敢えて数字は書かない)。」

とのこと。
如何しても「はいそうですか」と諦められなった。

(そんなものじゃないでしょう。自分の母の命は。)

全精力を使ってその病気について調べる。
数十冊の本を買い読み漁り、徹夜してネットで情報を集める。

調べるとその癌で日本で一番の病院は東京にあった。
直ぐに、会社のコネというコネを使って(助けてもらって)、度胸もハッタリも金も使って、足も使って、滅多に使わない頭も使って、そこの病院に転院に至る。
ほぼ満床というその病院において、異例のスピードだった。

最初の病院とまるで違う対応と診察。レベルの高さを痛感。

通常、母のステージでは手術対応外なのだが、手術して見ようとのこと。

それで治るわけじゃない、
癌というやつは自分の細胞が変装したやつで、分裂するわ飛び散るわ伝染るわ死なないわで、敵に回したら怖いタフネスだ。
切った所で諦めるようなヤワなやつじゃない。

でも、母は嬉しそうだったし、家族も勢いづいた。
少しでも苦痛のない生存期間を延ばしたい一心だ。

とはいえ手術自体は、外科の中でも最も難易度の高い施術。
術中死亡率は昔30%もあったし、後遺症は今でも結構な確立で起こる。
誰もが死をも覚悟する。

七時間にも及ぶそんな大手術を、母は無事乗り切った。

CIUでみるいろんな管がついた母はまるで臨終のようで、痛々しく、見ていられず、でもよく頑張ったと声をかけている間は、その目から目を離せなかった。

途中の話は端折るが、みるみる回復し、今では毎日一時間の散歩をするほどに元気だ。
(これから化学治療に入る。総力戦だ。やれることを全力でするまでだ。)

丸二ヶ月毎日病院に通った。
その間、いろんな感情が自分の心に去来した。

怒り。
悲しみ。
喜び。
絶望。
迷い。
喪失感。
希望。
諦念。
幸せ。
決断。

それらが半日単位で押し寄せてくる。

そういった感情のコントロールはいい年なんだからもうすでに出来ていると思っていたが、なかなかそうはいかないものだ。
ひっくり返ったり、元に戻ったりと、自分という船をどうにか前に進めるだけでも精一杯だった。
感情をうまく出せない自分にも、コントロールできない自分にも嫌気がさした。

心から自分/家族/命と向き合った数ヶ月だった。

これをまだ読んでいる人がいたら、少し深呼吸をしてください。
そして想像してください。
家族が癌になるところを。
癌で苦しむ顔を。

少しでも想像できたなら家族を大事にしてあげてください。
そして行動をしてください。

嫌がる親も無理やり検診に連れてってやってください。

癌は早期発見しか解決策のない、エイズより怖い病気です。
どうか、家族をお大事に。
そしてご自身もご自愛ください。

このメッセージを書くためだけにこのエピソードを話しました。
どうか皆様の心に少しでも残りますように。

追記:ミクシーとこちらのブログを分離しました。
こちらは今までどおりに真剣な事からお馬鹿な事までのライフログとして活用して行きたいと思います。
ミクシーはもう少しくだらないことを書く場所に、ツイッターはさらにくだらないことを書く場所にします。

さよなら

24年住んだ家。

柱に刻んだ身長の記録。

段ボールで作った秘密基地の思い出。

夢中になって遊んだオモチャ。

数々の誕生日に灯るロウソクの記憶。

泥だらけになったユニフォーム。

仄かに香る潮風。

笑いあった日。

美味い飯。

たわいない会話。

荷作りしてたらそんなものたちがぶわっと蘇ってきて、ぶわっとセンチになる。
今年は家の前で咲き乱れる桜も中々見られないかな。



今までお世話になりました。
雨の日も風邪の日も、守ってくれて有難う。
貧乏くさいと、馬鹿にされたりしたけど、おれにとっちゃあ誇りでした。
世界で一番居心地のいい場所でした。

あなたのお陰で、大きくなりました。
あなたのお陰で、私になりました。

これからたまに帰った時はもっと、立派になった私を見せられるよう、頑張ります。

ちくしょう、家族の風景なんて聴くんじゃなかった・・・。


数cm

明日の今頃には10,000km彼方の知らない街にいることは可能だが、

どうやったって、どう努力したって絶望的に届かない数cmもある。

小者

「大した仕切り出来ない野郎だなぁ」

と、先輩に、言われた。
嫌味じゃなくてね。

…要は、後輩女子にたいして、先輩からじゃなくお前が、かっこよく領収書切れって話。
もうお前はそんな年次なんだと。

社会人四年目にして、こんな話しが出てくるんだなぁ。

上をばかりみてよい子をしててももダメだし、下をばかりみて、自腹を切 るだけで満足してても駄目だし。

純情に甘んじちゃだめだし、非常に徹しても満足できない。

求められるもんは変わってくんだなと、思った。

甘えてらんないね。
大人になんなきゃね。

晩夏

暦の上では、すでに晩夏と言うらしい。

そんなことを知ったからというわけではないけれど、
盆を過ぎると終わりかけの夏の雰囲気が漂い始める。

油蝉が鳴く。
命を振り絞る叫び。
音圧。
それは、この夏に生きて死ぬことだけを目的に生まれた命が存在したという証拠を、時という正体の無いものに深く刻み付ける作業。

春は桜。
夏は蝉。
秋は落葉。
冬は雪。

日本には、はかなく過ぎてゆく時を思い出させてくれるものがある。
それがいい。
それを忘れてはいけない。
 
今年もまた、こうして夏が過ぎていく。

Alcohol life balance

 盆の時期はきまって、会社がまったりしています。

 
偉い人もいないし、大体社員の半分が休んでいる。
朝も電車がすいている。
今日はランチにビールとワインを飲んじゃった。
 
案外呑んでも、仕事ってできるんだね。
 
 
照りつける日、響き渡るセミの声、立ち上がる入道雲。
 
 
子供の頃に見たはずのこの景色は、
背広を着てビールを呑む大人になった僕には違う喜びとして受容される。
 
 
さあ、あと一本企画書書くぞ。

非日常

出張で昨日今日と、石川県金沢に行ってきた。

ほんっっとに何もないのね、金沢。
繁華街以外は、家の光すら無い世界。
でも、魚と日本酒は旨かった。

それより一番感動したのは飛行機の窓から見た景色。

行きは夜景。
帰りは雲海。

羽田から石川に向かう便は、陸の上空を飛ぶので、東京の夜景が良く見える。
コンビナートを彩る光、交差点に集まる光、管制塔の光、車の光。
それはまるで夜光虫のような、ホタルのような、何千・何億と言う光。
筆舌にし難い美しさだった。

昼の空の旅も良かった。
上昇する際、雲に突っ込んだ。風が強く、機体が揺れる。
その瞬間唐突に差し込む太陽の光。
ひらける視界と目の前に広がる雲海。
巨大な入道雲が太陽光を浴び、煌めいて目の前にいくつも立ち上がる様は、神々しくすらあった。

よくよく考えてみると、飛行機ってめちゃくちゃ非日常だ。
富士山より、エベレストより高い位置からの景色がみれるんだから。

あ、非日常と言えば、スキューバーダイビングがしたい。
すごくしたい。
スキューバーって、今僕らが実現できる最も非日常な体験だと思う。
水中で呼吸をし、水と一体になり、魚と泳ぐ。
実に非日常だ。

数日の合宿で免許取れるらしい。
免許合宿とかも楽しそうだし(笑)
いてもいけるかわからないけど、同じように思ってる人、いたら教えて。
企画したいです。


※写真は羽田からの夕日