<何故私に恋人が出来ないのか>の数学的証明

先日、NHKの「数学であらゆる問題を解決する」という美味しんぼ的な番組「頭がしびれるテレビ」で、もてない男(喪男)としては非常に興味を惹かれる学説が紹介されていた。地球人と出会う可能性がある地球外文明の数を推測する

・ドレイクの方程式
ソース: http://web1.incl.ne.jp/oyone/keirin/drake.htm

を使い、自分に彼女ができる確率を導き出した、ロンドン在住の30歳の喪男大学院生ピーター・バッカスさん。(参考: http://www.narinari.com/Nd/20100112912.html

本記事は、そのバカバカしくもシュールな挑戦に国境を超えた共感を覚えつつ、

(調べてみても同じ事をしているバカな人がいなかったため)

これが自分だったらどうなの?という知的好奇心に逆らえず、
東京の【私】に於けるドレイクの方程式を算出する試みである。

ドレイクの方程式(彼女算出ver)は、大まかには下記のようなモノだ。

[彼女となりうる人数]=英国人口60975000×女性比0.51×ロンドン在住率0.13×適齢期(24-34歳)率0.20×大卒率0.26×魅力的率0.05=10510人。

これが最低限の算定。さらに

彼女が私を気に入ってくれる率0.05×シングル率0.5×破綻しない率0.1

で、最終的に26人となり、「ある晩、ロンドンで26人のうちの1人に出会う確率」を計算すると、0.0000034%となる(誰でもいいのであれば0.000087 %)。

原文ソース(pdf):http://www2.warwick.ac.uk/fac/soc/economics/staff/phd_students/backus/girlfriend/why_i_dont_have_a_girlfriend.pdf

(参考: http://d.hatena.ne.jp/riocampos/20100118/p1

【極私的】に解釈しつつ、日本に於ける私に当てはめてみた。
それが下記である(回答に誤りがある場合はご容赦されたい)。

■彼女となりうる人数を求める式■

日本国総人口:127,450,459×
ソース:総務省統計局 国勢調査 2012年人口推計
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/

女性比:0.512×
ソース:総務省統計局 国勢調査 2012年人口推計
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/

東京在住率:0.0984×
ソース:東京都  総務省統計局 国勢調査 2010年人口推計
http://city.eek.jp/13/

適齢期(22-32歳:7,771,000名)率:0.11×
ソース;独立行政法人統計センター 政府統計
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001010879

魅力的率:0.05×
ソース:このパラメーターは難しく、発案者であるバッカスさんに従った
(彼も難しいと言っているが、100人に5名なのである程度妥当だろう)
http://www.narinari.com/Nd/20100112912.html

※ちなみにここでバッカスさんは大卒率を考慮に入れていたが、
私は「大卒であること」は理想的な彼女の条件で無いため除外した。
彼女が私を気に入ってくれる率:0.01×
ソース:発案者であるイケメンインテリのバッカスさんが5%と設定していたので
本来自分はもっと低い変数だと思うが、見栄をはって仮に1%と設定した。

シングル率:0.55×
ソース:国立社会保障・人口問題研究所 2011年 出生動向基本調査
http://matometanews.com/archives/1501476.html

自分と性格が会う確率:0.1×
ソース:発案者であるバッカスさん10%に対して、コミュ障の私は(見栄をはってかなり多めに見積もって)1%とした。
以上を計算すると、

となる。

このことから、日本全総人口に於ける私の恋人候補は

2名

である。
(かろうじて1名以上になったが、ここに趣味(ゾンビ)が合う確率とか、自分のコミュ障変数とか、おいおい魅力的な子のシングル率がこんな高いわけないだろ変数とか、こんなことをしているやつはそもそもだめだろう変数とか、その他諸々のマイナス変数をかけあわせると更に桁が下がり、小数点に突入し0人に限りなく近くなる)

全人口に対する2名とは

0.000003 %である。

そして、
更に思考を進めると、この確率は

500,000 人の人間と出会えば、2人のうちのどちらかに出会える計算である。

では、その現実性を考えてみると、

人生の総日数約27,375 日(75年×365日)とし、

その中から20%(5475日)を恋愛をできる期間として考えた時、

1日あたり91人と出会わなくては行けない計算となる。
(限りある休日やアフター5を引きこもって過ごしている場合は更にこの数字は高くなる)

上記の行動をすることは肉体的・時間的に不可能である。
よって私には恋人が出来ないのである。

以上、証明終了。

上記証明から導き出される推論として、

「世に遍在する恋愛の圧倒的大多数は自己理性を騙した<妥協>の結果であり、ごくごく少数のお互いが惹かれ合い信じれられる客観的妥当性を担保しうる<運命の>出会いは、<宇宙に生命が存在している可能性くらいの>奇跡である。」

ということが考えられるが、その証明はまた別の機会に譲ることにする。

愛を待っていた人か、
愛を勝ち取った人か、
その違いか。

「モテるモテない」の性格類型

【提起】
何故に異性にモテるやつはモテて、モテないやつはトコトンモテないか、その鍵を掴む為、ひとつの仮説をここに提示したい。
【前提】
異性との交友に限らず、人間関係にはあるひとつの要素が介入する。
それはエゴイズムである。
作為の多寡に限らず人間は誰しもエゴイズムを有している。友好関係を例にとれば、例えば気の合う友人と一緒にいると、とりあえず自分の感情は害される事はない。
言い換えれば自己の快楽を追求する行為の果ての友人とも言える。
勿論、金銭関係や異性交遊に於ける授受をもくろんだ作為的な交遊関係も、エゴイズムと見なす。
こうした構造の中で、人は妥協点をみつけ、授受をし、交友を図り、関係性を発展してゆく。
「異性にモテる」とゆう現状は、複雑の要素の蓄積であり、一仮説の元にその原因を特定する事は出来ないが、その大きな一要素として、コミュニケーション能力が挙げれる事には異論はないだろう。以下はそれを二極にわけて分類したものである。
【仮説】
①外交的エゴイズム所持
…外交的エゴイズムとは、関係性の初期段階及び、発展段階、成熟段階に於いて、自己の快楽を外部に求め、欲求の昇華をする性格類型である。
この性格を持ち合わせた者は、自己の欲求の補填の為、積極的に外部との連絡を図り、外部を巻き込んで大きな潮流を起こす。(外部とは幅広く適用できるが、本稿でいう外部とは異性と解釈してよい)
但し、この類型では自己のみでは欲求の担保がなされない為、常に外部との連絡に依存するという脆い側面を兼ね備えている。
必然的に、常に外部に異性及び、友人など社会集団がいる事となり、友人は異性を引き寄せ、「モテて」いる事となる。若年期に於いては、この性格は嫌われる場合もあるが、反省と改善の錬磨によってコミュニケーション能力は必然的に高くなる。
(例)
・なにかしらの「長」社長、会長、主宰者、発起人、幹事、ギタリスト、ボーカリスト、など
・異性と話す事になによりの喜びを得る人…友人や異性は自己像の鏡となる。コミュニケーションによって、自己像をより高尚なものにする為に、異性を次々に乗り換えてゆく。
・自分の主張を他人の気持ちを考えずに言える人
・経済エゴイズムもこれに入る
②内向的エゴイズム所持
…内向的エゴイズムとは、エゴイズムの向く方向性が前者とは逆になる。
つまり、内面方向に快楽を追求する事で欲求の昇華を得る。他者に働きかける事に抵抗があり、自己の内部で快楽が得られれば「集団の秩序、他人の感情は関係がない」とゆう、エゴイズムである。
若しくは、他人の感情をおもんばかる行為そのものに、快楽の昇華を感じる人間も、このエゴイズムの一種だ。
兎に角、このパターンの人間は、内向的であり、社交の場で「誰にも迷惑かけてないんだからそれでいいじゃん」とゆう論理を振りかざし、他人を無視したり、趣味や、主義に没頭する事が、正義であるかのように思っている。
必然的に、外出も減り、友好関係もごく少数の限られたものとなり、「モテない」。
反面、自慰行為やそれに準ずる行為(趣味)で、関係性への欲求が満たされる為、女性と接する事を可及的速やかには必要としない強さを持つ。
しかしモテない。
(例)
・殆どのドラマー
・ニート
・根暗
・職人
③内外交的エゴイズム
内向的に始まって、外交的に終わるエゴイズム。
内向的なエゴイズムは、一歩、踏み出すと外交的エゴイズムに似た概念になる事がある。
他人の喜びを、内向的なエゴイズムとするあまり、外交的に接するようになるタイプ。
言い換えれば、「よい事をしている自分」に、快楽を得るタイプ。
博愛主義に近い。
(例)
・ガンジー
・医師
・警察官
・自衛官
・家庭をもつ親
④外内向的エゴイズム
③の反対。
反対に外交的エゴイズムを、推し進めていくと、あるものを独占的に支配する欲求に発生する
浅い外部の環境には限界があると気付いた場合、自己の内面に外部を取り入れてその充足を求めようとする。
1対1のコミュニケーションに落ち着く場合もあるが、外部を全て手に入れようとする事もある。
(例)
・全体主義
・ヒトラー
・政治一般
・宗教一般
・浮気な人の改心後
【グラフ】
典型的な①と②に、伝統的嗜好型(従来どうりの道徳心が強い)と進歩的嗜好型(流動的を是とする)を加え、座標にして示してみると、こうなる。
(図)

060317_0313~0001

座標が、右斜めに行けばいくほど恋人と長く続き、反対はすぐに終わってしまう傾向にある。
しかし、座標が右斜め上方面に当たる人は、関係はあまり長続きはしないが、相手に不足しないという観点から見てすなわち「モテる」。
右斜め下の人は、外交的ではあるが、伝統的嗜好性な為、恋人及び友人をとっかえひっかえするのに強い抵抗を覚える為、関係は長続きする。
反対に左方面の人は酷い。
左斜め上は、内面的であるはあるが、流動的を是とするので一般的に言う所の変態とか「オタク」とかソレに近い状態になる。
左斜め下に至っては、内面的で伝統的であるが故に、何に対しても心を開く事が出来ない。対人関係を拒絶し、反動形成を生み、妄想を強める傾向にある。対人関係が出来たときはそれを守る事に全力を尽くし、それがなによりの価値だと思う傾向がある。
【結論】
少々穿った見方をしてしまったが、どの立場にも大して肩入れしない立場から、「モテる」ひいては、対人関係一般の関係性に於けるカラクリを万人に共通するファクターであるエゴイズムという変数(?)を使って分析してみた。
こうして見てみるとエゴイズムは各個人の行動に関して、重大な決定要因となっており、全ての「やる気」の原動力になっている事が解る。
どんな形でも存在する各個人のエゴイズムをどの噴火口から噴出させるかによって、ライフスタイルや経済状況などが、如何様にでも変化する。
そしてその噴出の形は各個人の意思と、努力に任されている事は言うまでも無い。
この時代、殆ど誰でも「自分の気持ち良いように」生きている(人権に反する強要や強制を除く)。
怠惰に生きるのが気持ち良いのも。自分を蔑むのが気持ちいいのも。夢を追うのが気持ち良いのも。窮地に立たされている自分に酔うのも。親を養う事に優越感を得るのも。
即ちこれ、「自己愛」と「エゴイズム」の狭間にある物。
「気持ちよさ」の選択と、質の向上が今回のエゴイズム分析と噴出の方向性についての分析で明るみに為り、それがこれからの人生の一つの指針となればいいと思う。