ピラミッド

ふと思った。
「人生はトランプのピラミッドだ」と。

人生はあのピラミットだ。
一度作り始めたら戻ることのできないピラミッドだ。

丁寧に作る人と、粗雑な積み方をする人がいる。

わざと粗雑にする奴も、そうせざるを得なかった人もいる。
土台がしっかりしていないトランプのピラミッドは、上の方へ行けばいくほど、壊れ易くなる。
土台をつくりこんで、高つもうとする人、成功する人もいるし、失敗する人もいる。
途中で疲れて、勝負を降りる人間や、隣の奴と比べてばかりで自分のピラミットをつくるのを忘れてる奴もいる。

となりのピラミッドを壊したりする酷い人も中にはいる。

…また、いざ完成となったときに、出来たピラミッドを自慢する人と、そうではない人がいる。
自慢して多くの人から承認を得てでなければ満足を得られない人間と、一人で悦に浸ることのできる人間がいる。
ピラミットを自分で壊せない人間と、壊せる類の人間がいる。

壊れたピラミットから、目を逸らす人間と、しっかりと見据える人間がいる。

壊れたピラミットの存在をいつまでも覚えている人間と、すぐ忘れる人間がいる。

壊れたピラミッドからまた新しいピラミットを作ろうとする人も….

….まるで、これらは各個人の「人生」に対する態度だ。
全ての行為は、あの遊びだ。
全ての出会いも、あの遊戯だ。

あの遊びは最初から、結論は決まっている。
いくら積んでも、いくら高いピラミットをつくろうとも、最後にはそれを崩さねばならない。
自分でそれを終わらすこともできるし、風がふいて瓦解することもある、他人に壊されことも考えられる。
が、最後に壊れることだけは決まっている

この哀れなピラミッドに限らず、この世のいっさいがっさいが、その運命を背負っている。
あらゆる努力、あらゆる希望、あらゆる命はこのピラミッドの如くいずれ霧消する運命にある。
誠心誠意作り上げる、僕らの芸術はいずれ崩壊する。

みんなそれを知りながら、この「遊び」を始める。
最後には崩さなければならないことを知りながら。

だがそれが、逆に人間が人間たりえる理由なのかもしれない。

だって、楽しいでしょ?  ピラミット遊び。
虚妄なものに、純粋に、屈託無く、「楽しさ」を感じることができる。
それこそが人を愛すべき点であって、僕が人間を好きな理由なのかもしれない。
まともな理性をもった人間なら、全員、発狂してしまう筈だけど、そうならないところに人間の「愛らしさ」がある。
人間の「人間らしさ」がある。
俺がともだちにしたいのは、そういうことをわかっていて、なお俺と遊ぼうなんて思ってくれる奴らです。
強大な時と、ちっぽけな我々の「あがき」
その貴重な時間のなかで「俺」を選択してくれる、殊勝な方々と僕は飲んで馬鹿騒ぎをしたく、また朝まで踊りたいので御座います。

(嗚呼、多分これがニーチェのいった、「赤子」ってゆうことなんだろう。
七尾旅人のいう赤子宣言の「赤子」なのだろう。)

僕は出来たピラミッドを、「守る為に生きる人生」ではなく、出来たピラミッドを大切な人、大切な信念の為になら、躊躇なく壊せる、差し出せる、そんな人生を送ってゆきたいと考える。