大きくなりたくない

ベッドサイドで娘が「もう大きくなりたくない」と言った。

僕は胸がキュっと締め付けられた。

立派に育っててほしいこと、今が永遠であってほしいこと、人は老いて死ぬこと、子は親の手から離れていくこと、娘のその感情はとても尊いこと。

これらが一緒くたになって、なんと言ったらよいかわからなくなって、僕たちは優しい嘘をついた。

「ずっとずっと赤ちゃんでいいよ。ずっとみんな一緒だよ」

そう言って抱きしめた。

折返し

「人生、もう折返し地点だね」と、夫婦で話す。

60で死んだ母。

人生は有限。

いつか来るその時に、今までの選択に悔いがないと思えるように。

日々をどう過ごし何を選択するか。

嫁に泣かれた話

たわないない会話の中で「俺は早死だと思うから、おじいさんになって死んだら後はよろしくねwww」みたいな話題?はカップルでも夫婦でもあることだと思う。

この間娘が産まれて数週間くらいのこと。

そんなようなことを話したら、嫁がポロポロと泣き出した。

曰く

「貴方が死んだら私もすぐ死ぬ」

「つらすぎて後を追う」

「あなたのいない世界に意味はない」

と。

「死んだら俺はもう思考しないんだし意識ないんだからそんなことはやめてくれ」

「第一子供がいるから寂しくないだろうし、子供も哀しむよ。もし万が一意識があったら俺も哀しむよ。」

と俺。

いや、それとこれとは別なのよ、と嫁。

まぁ、そんなこんなをとりとめもなく、お互いに感情的になって話した。

死を思ってかなりセンチになったし、俺もジーンとした。

「後を追う」

その言葉が、その時その瞬間の気分だとしても、将来それが実行されないにしても(全然してほしくないのだけれど)、実はすぐ他の人と幸せになるとしても、そう言ってくれた事は、とてもとても嬉しかった。

いつか終わり、今も虚無に向かっている人生だけど、最後は一人になってしまう人生だけど、その路の途中で、ここまで言ってくれる人と出会えてよかった。

結婚したときのブログで「いつか死によって別れるのが怖い」と書いた。

大事なものがますます大事になって、ますます怖くなったけど、救いも増えたような気がする。

夫婦でポロポロ泣いた夜は、瞬間かもしれないけど無くならない。

夫婦でいい人生を送ろう。

そして死ぬその日まであの日のことを覚えておこうと、思った。

「理想の素晴らしい今ではない何か」と「今の自分」を比べる無意味さについて。

あいまいにしか思い出せない単純化された過去の自分を回顧して懐かしむ。
本やメディアで啓発された立派な自己像を夢見てみる。
人の言う、人の常識に翻弄される。
それら、「今の自分じゃない何か」を今の自分に当てはめて、その【差分】を課題と思ってみたところで無駄だ。
なぜならそもそも自分自身ですら把握出来ない程、
・複雑で
・多様で
・雑多としていて
・毎日変化する
・複合的で
・理解不能な
「今の自分」と、
・一面的で
・主観的で
・わかりやすくて
・普遍的で
・単一的で
・理解しやすい言葉でできた
誰かが啓蒙のために創った「概念」や、自分が思い出せるだけの今眼前にないペラペラの「過去の自己イメージ」や、人が生成する主観的な「普通の常識」などといったものとでは、そもそも、比較の指標が違うのだから、正確な比較などできるわけもないからだ。
∞である自分と、何かしらの1とか8とか33の別の指標を比較してみたところで、なんの意味があるだろう。
だが、それでも比較をしたならば、
永久に主観的な(あるいは客観的な)差分は埋まらず、自己像やアイデンティティは欠損したままとなる。
死ぬまで不足感や欠乏感は拭えない。
進歩進化進捗。
過去はよりよかった。
未来はよりよいものだ。
他人はもっとすごい、素晴らしい、常識的だ。
そんな進歩進化進捗を根拠とした意味と根拠の無い比較、否定の因習に囚われていたら、今の自分は誰が認めるのだろう。
誰が愛するのだろう。
いつ、【そこ】に到達するのだろう。
だから思う。
複雑で、変化し、捉えようのない、あるがままで美しいこの世界を、自分を、他者を、できるだけそのままで愛そうと。
 

僕が旅に出る理由2013

旅は、全く確証の無い未来に我が身を投げる、人生において数少ない行為である。

投げる事そのものは計画ができても、投げた後何がが起こるかについては、何一つ予見する事はできない。
この足が一本を進むその瞬間瞬間に、新しい景色が開け、それにより新しい経験をし、新しい人と出会い、新しい想いを抱く。

つまり我々は背後の「全て」と眼前の「ゼロ」に挟まれた瞬間的な存在であり、そこには偶然もなければ可能性もない。
村上春樹『羊をめぐる冒険』

ゼロとすべての間にある行為が旅だ。

<社会>:コミュニケーション可能なものの全体
<世界>:ありとあらゆるものの全体
宮台真司『14歳からの社会学』

<社会>(=日常)じゃなく、<世界>に直接触れる行為、それが旅だ。

なので、その旅の瞬間瞬間に相対としての<いつもと違う生>が、溢れる。

良い事だけじゃない。
アクシデントや、悪い事や、損失、その全てに自分の判断、生が絡みつき、我が生と一体化する。

坂道を落ちる雪玉のように、(善悪に関わりなく)経験はすればするほど生にまとわりつき、経験を、人間を深くする。

深くなった生は、今の生(日常=社会)にも影響を及ぼす。

旅の間に深くなった生は否応なく、現実の日常の自分の生(と社会との関わり方)を比較、検討、対策、対応することを要請する。

その事で自分の日常へと、その足りたい部分、欠落している部分をフィードバックする事ができる。

そしてその欠落感と反省の経験が次の旅を渇望する事につながり、次の「放り投げ」へと連鎖していくのだ。

一人なら一人の、二人なら二人の。

未知への冒険。そして、その経験。
それは何にも変え難い、自分だけの、そして二人だけのものである。

肯定

死は乗り越える事でも、
忘れる事でも、
逃げる事でもない。

常にそこにあって、生の輪郭を際立たせるものだ。

あなたがそばに居てくれたのは、とてもありがたい事で。
ここから居なくなったのは、とても悲しい事で。

君がここに居るのは、とても幸せな事で。
そして二人が幸せなのは、とても嬉しい事だ。

今、わたし。

何故、今を嘆く。

何故我々は過去を崇拝し、青春を美化するのみで、<今、ここ>を卑下し軽視するのか。

例えば音楽に明け暮れた大学の頃の四年と、今の四年。
青春と今。
比較すると、誰しもが今の生活の色の無さを見出すだろう。

だが、その時間の<客観的な価値>は、等しい筈だ。
数年前も今も<時>は等しい。
ならば<時>は客観的に時は同じ価値を持つはずだ。

いや更にいうなれば、各個人の中に記憶として凍り付いて動かない<過去>と等価に、いや本来ならそれ以上に、
<今>はその一瞬一瞬のその豊かな可能性的多様性において、光り輝き、生に溢れ、素晴らしい。

上記のような客観的状況があるにもかかわらず、過去と今、その問題で悩むとすれば、
その時間軸で変わったのは、時の受容体側。
つまりわたしだ。
主体だ。

世界を観測するのは、私ひとりしかいない。
そして、その観測の仕方は私自身に任されている。
その事実を悲観せず受け止め、逆手にとって自ら選択し、行動し、自らを新しい世界に置く。

僕らは、今からでも何度でも何回でも何百回でも、自ら望めば、選択すれば、素晴らしい瞬間に出会える筈だ。

ではいつ、その果実を摘み取るのか。

過去ではない、未来でもない。
それは今だ。

「過去の自分」に耽溺したり、「未来の自分」を最優先するために、今の自分と時間を蔑ろにするほど馬鹿な事はない。

【かって幸せだった自分】
  や
【いつか幸せになる自分】

を夢見るのは終わりにしよう。

今、人生の芳醇を積極的に味わおう。

今、
わたしが、大事な人に会いに行こう。
今、
わたしが、美しい世界を見に行こう。

母の日

「母の日」というフレーズが、こんなに胸を刺す日がくるとは。
どれだけ感謝し尽くしても、その言葉はもう届かない。
そのフレーズを目にする度、耳にする度、不可逆な時間に小さい絶望が胸を刺す。
まだ間に合う人。
今、大事にしてあげてね。

母の死を経てから最近特に感じるようになったのは、「時」の存在だ。

こうなるまで、何故か感覚として「過去」も僕の側にいるような、過去が味方にあるような、
そんな直感を持っていた。

だが、それは違った。

ある強烈な一点を意識した時、高速で走る電車に乗っている時のように、
遥か後方にその一点(あの病室)があるように感じる。

時は走り去るし、僕も走っている。

それを意識した時、過去はもう戻らない点であり、今に至る不可逆な線でもあると「識る」事ができた。

遠く離れた過去は物質としてなんの意味も持たない。
僕の頭の中にある、感傷だ。

あらゆる過去は、今生きている人間の頭の中にしか無い。
書物も、建築も、歴史も、認識されるまではただの紙であり、石であり、想像だ。

だからいや、今も、あらゆる価値は、人の、いや自分の頭の中にあるんだ。

だから、人は短い人生の最後の瞬間には、頭の中にあるものしか持っていることができない。
どんなにその人生が幸せでも、人に認められても、立派な家を建てても、満足のする作品を残してもその成果を死の向こう側に持っていくことは出来ない。

だから、僕は、死ぬ少し手前、苦痛を感じながら、死に怯えながら、最期に意識が消失するその時には、他人に迷惑をかけない保証の出来る金と、たくさんの思い出と、それらによる自分自身の納得があればいいと思う。

それがあれば一人で逝く孤独と、胸に去来する寂しさと、恐怖と、戦えるだろうか。
今はわからないけど、無いよりはマシだ。

僕はジョブズでもなんでもないから、直ぐにその境地にたどり着くのは無理だ。

だが、たとえ一歩づつでも、後ろ向きでも、いびつでも、ひねくれていても、
その状態を作ることができるのは、

他でもない、今、キーボードを売っているこの手だ。
そしてそれを支えている二本の腕だ。

今、この記事を読んでいるその目だ。

“わたし”だ。

全部が自分に返ってくる。

“人は生きたようにしか死ねない”

人は生きてきたようにしか死ねない

以前のエントリーにて載せた一節が、胸にまた去来したので再掲。

母親の闘病の助けになればと、日々論文を漁る中で偶然見つけた名もない、PDFファイル。

・「ホスピスケアにおける心理学的問題」
http://p.tl/rs5l
※PDF注意
・本ページ
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002785223

装飾を排除した、生と死の実態が当時と違った感覚で、感じ取れる。

その末尾。
学術論文としてはあまりに詩的な、哲学的な一節。

1.人は生きてきたようにしか現実をみることができない
2.人は生きてきたようにしか学べない
3.人は生きてきたようにしか自分と出会えない
4.人は生きてようにしか体験できない
5.人は生きてきたようにしか幸福になれない
6.人は生きてきたようにしか死ねない

何万人という死の凝縮した一滴のような一節。

「死と太陽は直視できない。」
読むのは辛いけど、是非ご一読を。