選択と判断

昨年僕は

>今年はきっと母と向きあう年になる。

と書いた、結果そうなって、

最終的に僕と母の一年は最悪な結末で幕を閉じることになった。また、そのエントリーの中でこう書いていた。

>死や病に関しての自分の中でのスタンスを決め込むことができた。

こんなのは机上の空論にすぎなかった。
実際の死の前では、スタンスなんてまさに砂上の楼閣だった。

死は怖い、死は暗い、死は美しくない、死は苦しい、死は逃れられない。

そのことがわかった。

また、

>逃げずに、悲観せずに、楽しみ、自制する。

とも書いた。
果たして
逃げなかっただろうか?
ちゃんと向き合っただろうか?
母の支えになれただろうか?

母は寂しい想いをしなかっただろうか?
あの時の自分のあの発言は母を傷つけなかっただろうか?
あの夜の決断は間違えていなかっただろうか?

その問いに答えてくれる母はもう居ない。

きっとずっと、問い続けるのだろう。
やれることはやったんだという自分と、
もっとできたんじゃないかという自分と。

この二年間、やれることはやったんだという自分と。
意識を失う前の最期の数週間を会社終わってからも行けたんじゃないか、もっとできたんじゃないか、実は逃げんたんじゃないかと内なる自分が自分を責める自分と。

その煩悶はきっとずっと続くし、続くべきだと思う。
それはきっとたったひとりで。

判然としない疑問結論の中で、ただひとつ分かっていることは、過去に自分はそう判断し動いたということ。
そして過去を挽回できるチャンスはもう二度とやってこない事。

だから過去の過失に囚われるのでは無く、そういう選択をしたという強い自分も弱い自分も含めた自分とき合おう。

そうして自分と外の世界をよりよい形で変えていこう。
自分の選択に、自信を持てるような環境と論理を形成しよう。

それが、多分あの息子思いの母の望んでいる事だろう。と、薄っすら信じて。

減算

 ●
大事な人が亡くなった瞬間、その悲しみはピークに達する。
そして、時が経つにつれ悲しみは(時として乱高下しながら)、ゆるやかに下降線を描きながら小さくなっていく。

「死と太陽は直視できない」とフーコーが言ったのは、何も本人だけでなく、遺族にも他者にも当てはまる。
毎日の仕事、作業、娯楽の中で、毎日片時も欠かさず、死を意識し続けていることは難しい。

「この人は親を亡くした人なんだな」
「僕は親を亡くした人間だ」といつまでも表明し続ける事はできない。
死は生活に持ち込めない。

だから母の死なんてなかったように、僕の周りの人達は僕に笑顔で接する。
僕も笑顔でそれに返す。

その度胸がチクリと痛む。

その痛みを誤魔化したり続くと、痛むことすら少なくなっていくことに気づく。
すると、僕の心に声がする。

「お前にとって母の存在はその程度だったのか」

と。

●
宗教を介さない素朴な
「故人を思う事」は、
死に対する一般的な倫理観を下敷きにすると、下記の命題が成り立つ。

命題A:倫理観「命は何よりも重い」=「命の優先順位は最上位で在るべき」=「命を軽んじる奴は悪い」
命題B:他者を思う気持ち「自分だったら忘れてほしくはない」=「忘れられた人は悲しいに違いない」
命題C:事実「自分は死を忘れていく」
命題D:「故人は命題ABを否定しない」

すると、上記命題ABCDが繋がって、
「死を忘れる自分」は「忘れられた人を悲しませて」いて、「命を最優先課題で考えない」、「命を軽んじる悪いやつ」
となる。
これが罪悪感の正体だ。
亡くなった母が蘇って否定でもしてくれない限り、この円環は僕が死んで僕という主体が消滅するか、、或いは完全に感覚が麻痺するまで止まることは無い。

まあ、要は僕は薄情な奴なのだ、とここに告白することで楽になろうとしているのである。

●
故人を思うことと、生者が普通に生活をする事との間には、
死者との対話が不可能であるという点に於いて、絶望的なほどに深い溝がある。
空に向かって、問うてみても、すがってみても、懺悔してみても何も、無い。
そこには自意識があるだけで、その自意識すらいつか他者に忘れられる。

●
人は生き、大事な人を亡くし、楽しみ、故人を忘れ、そして自らも死に、世界に忘れられる。

●生きるという事の、死ぬという事の本質が、「忘れる」という事であるなら、
僕は、その「存在の耐えられない軽さ」を直視できない。

世界一の微笑

棺桶に入った母と、二人で最後の酒を飲む。
色々と謝らなくてはいけない事があって、
酒を飲みながら謝る。
うっすらと微笑みを浮かべているような、母の顔。
何も喋らないけど、
全てを赦して貰ったような気がした。
母の愛に甘えた後付の解釈をしてるのか、それが正しい事なのか、分からない。
でも、多分、きっと、間違えてない。
ありがとう。
最後まで、ありがとう。

愛

力ない母を、ほっそりしてしまった母を、そっと抱き締める。
少し安心したようで、呼吸が緩やかになる。
痩せて骨ばってしまった母の身体。
だから余計に直に響く心臓のリズム。
喋らなくなってしまった。
お風呂沸いたよと、言う事もなくなってしまった。
指を握ってくれなくなってしまった。
寝ている僕に毛布をかけてくれる事もなくなってしまった。
帰宅時間を尋ねるメールをくれる事もなくなってしまった。
ワイシャツのボタンをとめてくれることもなくなってしまった。
でも、
その温もりと心臓の鼓動はからは、紛れもない愛を感じる。
途方もない愛。
抱き締めた母の胸から、直接、暖かい安らぎを感じる。
僕はいつも、捻くれたように振る舞い、厭世的な事ばかり言い、ネガティブな事ばかりいっていた。
自分を卑下する事に慣れていた。
だが、これからはそれも改めなくては。
僕には母からもらった物がある。
一番大きなプレゼント。
誇らしい、誇らしい、プレゼント。
それは、間違いなく僕の中にある。
暖かく、わかる。
辛いけど、
その贈り物に恥ずかしくない人生を送るよ。
絶対に。

痛み

実家に戻ると全ての物が母の思い出に溢れている。
ありありと思い出せる。
フラッシュバックする。
声が。
仕草が。
愛が。
どこをみても、胸が痛い。

夕暮れ

窓の外からは、遠くで子供たちが遊ぶ声。
優しい夕日が差し込む病室。
安らかな寝顔ですやすやと眠る母。
この時間がずっと続けばいいのに。
と、罪な事を思う。

無い

現実に、筋書きなんてない。
起承転結なんて無い。
起こる事が、因果の結果に起こるだけ。
美談なんて、それに都合よく後付けしただけ。
現実は、美しくもないし、綺麗でもない。
トイレにいっている時、食事を買いに行ってる時に、なくなっているかもしれない、怖い。
形の無いものの殆どは意味がない。
ただし、形のないもののなかで、母に貰った無償の愛だけは、ここにある。
心の中にしっかりとある。
わかる。
暖かい。

世界に一つ

世界にひとつしかない、お袋の手。
世界一のお袋の手。
俺を形創ったお袋の手。
その手の温もりは昔のままなのに、数日のうちに骨になるなんて。