星屑

ポールデイビスという宇宙物理学者の書いた「宇宙最後の三分間」がとても面白かった。

宇宙はエントロピー増加の法則や、ビッククランチによっていずれ消滅するだろう(説明はここでは省く)。
時間も概念もない「無」が私たち人類、及びその残存物を飲み込むだろう。
歴史を記録するものはない。
我々の発展や生存は太虚の中へと投げ込まれる事となる。
だとすれば、私たちの生とは無意味なのか?
永遠は存在するのか?
価値とは継続にあるのか?

そんな悶々とした事を考えている(事のある)人にオススメの書。
理系の内容なのに平坦で分かり易く、理系は赤点文系オタクの僕でも理解できました。
果てしない思索の海に飛びたてます。
最近そんなこと考えて欝になりかけた自分がこの書のお陰で突破できました。
余計暗くなる人もいると思うけど、「存在と価値」について興味がある人は一読の価値ありです。
そのなかで、目からうろこだった事。
宇宙は最初、ビックバンで誕生したメタンとかヘリウムのようなガス状の元素しかないらしいのです。
そして、そのガス状の物質が引力よって集合したのが、太陽のような恒星。
恒星が爆発した際に超新星になる。
その時始めて爆発による超高温と高圧力で、金や鉛、ウランといった鉄より重い物質が生み出される。
元素合成の初期段階では酸素や炭素なども作られる。
そうして宇宙に飛びだした滓がまた重力によって集められると、それが私たちの今まさにたっている地面<地球>になるのです。

つまり私たちの体を含む、この地球の生きとし生けるもの全ての構成物は遥か昔に死んだ星の核で出来ているという事です。
今こうしてパソコンを見ている眼球も、それを操作する脳も、キーボードをたたいている腕も全部、いつか燃え盛っていたどこかの太陽の一部。
そう考えると、私たちの精神や、想い、果ては夢も、星の残滓で出来ている事になる。

悠久の昔に眩いほどの光を放って炸裂した星に想いを馳せる。
星の欠片で出来ている肉体を使って。

いつか自分の体も炸裂してどこか遠い星の誰かの夢の一部になるのだろうかと思うと、悪い気はしない。

幸福な雪

子供たちが集まる公園に降った雪は幸運だと思う。
公園の雪は他の場所に比べると消費量が違う。
地面が見えても、最後の一片が溶けるまで投げ尽くされる。
真っ黒になるまで弄り尽くされる。

公園の雪は幸福だ。

寓話「柘榴フィリア」

バスに乗ってふと外を見ると全裸でこちらに走ってくる人がいるではないか。
「おや」
と思って見てみる。よく見てみると人は、男か女かわからない。
わからないのでよく目を凝らしてみるのだが、男とゆうには小柄だし、女とゆうには輪郭が丸くない。
「ならば」
と思って股間を見やるが、どうにも股間に焦点が合わない。見よう見ようと目をそばめるが、股間のまわりは何だかモヤモヤとしたものがあって、なかなか判然としない。
見てみえないものや、考えてわからないものがあるなんて何だか癪に触るので、
「全身タイツみたいなもんか」
と思って、やり過ごす事にした。
釈然としてみると全身タイツは顔もモヤモヤしている事に気がついた。
まあでも全身タイツを着たままだとゆうのなら、全て納得がいくから、とりあえず静観してみる事にした。
バスは信号待ちで停止した。
全身タイツは路上を走って、ずんずんずんずん近づいてくる。
「箱根駅伝の山梨学園みたい」
その時、突然全身タイツの頭がぱっくりと割れた。
エイリアンの卵かとゆう程にぱっくりと。
遠くから見てもわかるくらいに割れた頭から赤い脳漿が見て取れる。
「まるで柘榴みたいだ。」
全身タイツはそれでもなお休まず、バスへと走り続けてる。全身タイツに気付いているバスの乗客は私だけだ。
となりにいるサラリーマンやおばさんに全身タイツの存在を言いたいのだが、初対面の人に話しかけるのは何だか恥ずかしいので躊躇される。
迷っている間に脳漿を全開にして、ずんずんずんずん近づいてくる全身タイツ人間。
今まで
「面白いなぁこのキ○チガイ」
と愉快に思っていた私だが、突然、なんだか怖くなってきた
10mを残して。
鮮明に見える脳と血の真紅が正体不明の意味不明に恐怖だ。

恐怖が猛然と走ってくる。
私に向かって。
「うわっ怖っ」
「くんなくんなくんな」
と思った。
するとバスは走りはじめ、バスは速度をあげる。距離が離れ始める。
全身タイツは懸命に僕に向かって走ってくる。
まさに懸命だ。
しかし距離は離れる。
「ああ良かったー」
なんだかほっとする私。
すると再び、バスは信号待ちになる。全身タイツはずんずん来ゆる。
またドキドキする。
三度バスは走りはじめ、距離は離れる。
が、三度信号待ちになり―――――

徐々に近づいてくる柘榴全身タイツは、躊躇う事を知らない。
いよいよ距離1m。

30cm。
すると目の前で立ち止まる全身タイツ。

彼は 立ち尽くしている。

頭は割れているが、
全裸だが、

車道を走っていたが、
立ち尽くしている。
バスはその後、すぐにその場を走り去った。

ホームにて

たとえば今俺のうしろにいるやつが突然、やってくる終電に俺をホームに突き飛ばしたとする
「やだな」
「まだやりたい事があるな」
「まだ死になくないな」
「怖いな」
ふと俺は大人になったんだなと思う。

「人間五十年。下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け滅せぬもののあるべきか。」 

好きな舞の一節。
卒論が進まないのでタバコ買いに行きがてら散歩していると、

「おお」

 桜のつぼみが、もうついている。
こんなに寒いのに、ちょこんといやがる。
けなげだぜ。
また今年も散るのに。
桜にとっても「夢幻の如くなり」なんだろう。
でも咲くしかないから咲く。
咲いて、実をつける。
そして来年も寒い内から、つぼみをつける。

敦盛は、悲しい唄なんかじゃなくて、もっとこう、生に対して攻める唄なんだと解釈した。
自分の住んでる団地も、数年後には壊されるらしい。
「豊かになるために壊す」という記事が今日の朝日新聞に載っていた。
人口減少に伴って集団住宅を取り壊し「量」より「質」の住宅を提供していこうとする国策らしい。
郷愁と、恋慕に満ちた僕の古里も、数年後に消滅する。
郷土がまとめて全て消滅するなんて、そんな経験めったに無いでしょ?
ダムに沈むムラと殆どいっしょだよw「質」はないけどねw
虫とか、塔とか、立ちションベンとか、駄菓子とか、土とかそういったものに、将来僕はもう帰ることはできない。

次世代や、高齢者の方が、豊かになるために、古い住宅は壊す。

その選択も
この詩も
桜も

全部、夢幻の如くなり。

それだけに一個の人生は、逆説的に美しい。

こんな感覚を持てる日本人に生まれて良かった。