<書評>「老病死に勝つブッダの智慧」アルボムッレ・スマナサーラ

宗教としての仏教と、哲学としての仏教。
原始仏教は、殆ど後者であると僕は解釈している。
ではなんの哲学なのか?
それは自然と生き、そして自然に死ぬという当たり前の事を当たり前にできるようにする哲学だ。

何も無いという所から出発するこの思想は、まさにこの本の表題「老病死」という、自然科学や東洋哲学ではフォローすることのできない人間の苦痛の根幹と向きあうための哲学なのだ。

本の内容はすこぶる分り易い。
分り易すぎるくらいに、平坦な文章で書かれている。

内容は下記ような感じ。

人は100%死ぬ。
逆らうことはできない。
だから、その間幸せに生きるべきだ。
幸せに生きるためには、正しい生活をし、正しい考え方をするべきだ。
そうすれば病気も、精神疾患も治る。
治らない病や、老いは観念する心構えができる。

これが結論であるようで、なんども同じ文脈で語られる。
病が治る等の下りは眉唾もので信じるに値しないが、その考えの根本にある無常、苦、非我の考え方は参考になる。
無常というと、空虚で冷たい、空っぽのもののように感じるが、著者は「明るく幸せに生きよ」という。
当たり前といえば当たり前だが、やもすれば無常の前に立つ人の自暴自棄を改めて思い直させる立ち位置だ。

自分なりのエッセンスを抽出して読めば、為になる一冊。

でもしかし改めてフィッシュマンズと原始仏教は、近しいものがあるな。

下記引用とメモ

◆人は誰でも年を取り、年をとったぶんだけ体にもガタが来る。
昔と比べてダメになったとか、食欲増進の薬を飲んだりするのは意味のない行為。

◆人生はいくら頑張っても結局は水の泡

◆だから気楽に生きたほうがいい

◆人は孤独で死に至る。屠場にひかれる牛のように。

◆人間の体から出るすべてのものは不潔で、不浄。便所のようなものである。

星屑

ポールデイビスという宇宙物理学者の書いた「宇宙最後の三分間」がとても面白かった。

宇宙はエントロピー増加の法則や、ビッククランチによっていずれ消滅するだろう(説明はここでは省く)。
時間も概念もない「無」が私たち人類、及びその残存物を飲み込むだろう。
歴史を記録するものはない。
我々の発展や生存は太虚の中へと投げ込まれる事となる。
だとすれば、私たちの生とは無意味なのか?
永遠は存在するのか?
価値とは継続にあるのか?

そんな悶々とした事を考えている(事のある)人にオススメの書。
理系の内容なのに平坦で分かり易く、理系は赤点文系オタクの僕でも理解できました。
果てしない思索の海に飛びたてます。
最近そんなこと考えて欝になりかけた自分がこの書のお陰で突破できました。
余計暗くなる人もいると思うけど、「存在と価値」について興味がある人は一読の価値ありです。
そのなかで、目からうろこだった事。
宇宙は最初、ビックバンで誕生したメタンとかヘリウムのようなガス状の元素しかないらしいのです。
そして、そのガス状の物質が引力よって集合したのが、太陽のような恒星。
恒星が爆発した際に超新星になる。
その時始めて爆発による超高温と高圧力で、金や鉛、ウランといった鉄より重い物質が生み出される。
元素合成の初期段階では酸素や炭素なども作られる。
そうして宇宙に飛びだした滓がまた重力によって集められると、それが私たちの今まさにたっている地面<地球>になるのです。

つまり私たちの体を含む、この地球の生きとし生けるもの全ての構成物は遥か昔に死んだ星の核で出来ているという事です。
今こうしてパソコンを見ている眼球も、それを操作する脳も、キーボードをたたいている腕も全部、いつか燃え盛っていたどこかの太陽の一部。
そう考えると、私たちの精神や、想い、果ては夢も、星の残滓で出来ている事になる。

悠久の昔に眩いほどの光を放って炸裂した星に想いを馳せる。
星の欠片で出来ている肉体を使って。

いつか自分の体も炸裂してどこか遠い星の誰かの夢の一部になるのだろうかと思うと、悪い気はしない。