訓示

・栄養のあるものを食べなさい
・勉強しなさい
・友達を大事にしなさい
・本を読みなさい
・早く寝なさい
・運動をしなさい
誰もがみな母(父)親に言われるこの愛に満ちた言葉。訓示。
これだけをただちゃんとしていればいいのだ。
人生を正しく生きる為には、これだけをすればいいのだ。
他の事の殆どは、余計なまやかしだ。
人生の肝心な事は、最初に全て教えて貰っていたんだ。
何故、わかっていて逆に走るのだろう。
何故、忘れてしまうのだろう。
何故、忘れたふりをするのだろう。

ライブ(ショー)における主体と客体の関係について

ライブ(やなんらかのショー:以降ライブ)を観に行く度に僕は、いつもクラブの誰もいない自分だけの空間に逃げ込みたくなる。

観客であるところの僕はいつも突っ立って、ステージで起こっていることはそっちのけでチカチカと光るライトのように散発的でまとまらない思考を持て余している。
煌びやかなステージ観ているようでまるで観ずに。

そうしてやがて暫くすると僕はやっぱりあのクラブの隅のスピーカー前の、ただ真っ暗で延々と馬鹿でかい音が鳴る、たった一人の空間に逃げ込みたくなるのだ。
 
この正体不明の居心地の悪さは、僕が学生の頃から感じていた違和感で、観る側の時も、演る側の時もずっと感じていたことである。

ライブを演る側と見る側は一見、
主客の関係あるようだが、それは違う。
 
演者は「次のフレーズなんだっけな」とか「今日は客の入りいいな」とか「音の返りがちいせえ」とか「うっひょ~サイコー」などと思い、
見る側は「あのベースうめえな、ひけるかな」とか「このあと何食いに行こうかな」とか「おっいい曲」とか「隣の子かわいいな」などとバラバラの事を思っている。
 
 
つまり演者にとって、自らが主役で、客は文字通り客体であるが、客にとっては演者が客体であって、客(自分)が主役であり主体なのだ。
 
結果、ステージの向こう側と此方側には大きな感情の量的・質的なギャップが生じることになる。
聞いて欲しい側と、聞かされている側。
それはどちらか高いほうから低いほうに水のようにそれは落ちて、淀む。
 

考えてみれば当たり前のこの事実があるのに、殆どのライブでは日常生活から切り離されたある時間拘束され、非日常的な空間であるということで、半ば強制的に客体である事を強いる事が許される。そんな客と演者での共通認識が出来上がる。拘束され、自由を奪われているストレスを忘れたふりをする。
 
結果、なぁなぁな雰囲気が完成する。
 

クラブでは状況が全く異なる。
演者が不在な故(DJは居る事には居るが存在そのものは)、目を瞑れば客は純粋に客のままで主体でいつつける事ができるのだ。
 

一方で思いも寄らない凄まじいライブや、自分が心酔しているアーティストのライブを見る時、人は限りなく無私に近くなる。
 
伝える側の伝えたい事が聞く側を圧倒し、客の思考を占拠する。
または、聞く側が演奏する側を初めから心酔していて余計なことを思考する必要もない。
極稀に、その二つの熱量が均衡になる。

こういう、ライブがきっと間違いなくいいライブであるが、あまり現実的にたくさんあるというものではない。

この不均衡がきっと、僕の感じていた居心地の悪さなのだろう。
と、少し整理。

<蛇足>
広告屋は対案を出さなくてはいけません。
もしライブハウス(に限っていうと)を上記主客の視点からハード(仕組み)的に変えることで、色々と集客や、文化面でも発展の可能性があると思います。
(要は参加型ってことなのかもしれないけど…。)

 
・踊れるようにする(主格の逆転)
・モニターを複数設置する(主格の曖昧化)
・踊るスペースをメインにし、演奏するスペースをサブにする(ダンスホール形式)
・酒を配る、振る舞う(自費で)
・飲み放題にする(その代わり値上げでも)
・食事を振る舞い朝までのイベントにする(プチフェス化)
・演者のプロフィールを配る(物語の構築)
・ブッキングライブのネットオープン化(ソーシャル化)
・ブッキングでは無く、ジャンル毎のセグメントを行う(ジャズが見たいとか、下北沢系がみたくて聴きながら酔いたい踊りたいとかそういう人の新規ニーズって全部クラブに取られてる)
・投票による審査を行い、クオリティを担保する(ライブハウスの客層改善)
・出逢いを提供する(出会い厨からの課金)
・ライブそのものの価格を下げる(通りがかりの音楽ファンニーズ)
・飛び入り参加スペースを作る(究極の主格逆転)

母の死を経てから最近特に感じるようになったのは、「時」の存在だ。

こうなるまで、何故か感覚として「過去」も僕の側にいるような、過去が味方にあるような、
そんな直感を持っていた。

だが、それは違った。

ある強烈な一点を意識した時、高速で走る電車に乗っている時のように、
遥か後方にその一点(あの病室)があるように感じる。

時は走り去るし、僕も走っている。

それを意識した時、過去はもう戻らない点であり、今に至る不可逆な線でもあると「識る」事ができた。

遠く離れた過去は物質としてなんの意味も持たない。
僕の頭の中にある、感傷だ。

あらゆる過去は、今生きている人間の頭の中にしか無い。
書物も、建築も、歴史も、認識されるまではただの紙であり、石であり、想像だ。

だからいや、今も、あらゆる価値は、人の、いや自分の頭の中にあるんだ。

だから、人は短い人生の最後の瞬間には、頭の中にあるものしか持っていることができない。
どんなにその人生が幸せでも、人に認められても、立派な家を建てても、満足のする作品を残してもその成果を死の向こう側に持っていくことは出来ない。

だから、僕は、死ぬ少し手前、苦痛を感じながら、死に怯えながら、最期に意識が消失するその時には、他人に迷惑をかけない保証の出来る金と、たくさんの思い出と、それらによる自分自身の納得があればいいと思う。

それがあれば一人で逝く孤独と、胸に去来する寂しさと、恐怖と、戦えるだろうか。
今はわからないけど、無いよりはマシだ。

僕はジョブズでもなんでもないから、直ぐにその境地にたどり着くのは無理だ。

だが、たとえ一歩づつでも、後ろ向きでも、いびつでも、ひねくれていても、
その状態を作ることができるのは、

他でもない、今、キーボードを売っているこの手だ。
そしてそれを支えている二本の腕だ。

今、この記事を読んでいるその目だ。

“わたし”だ。

全部が自分に返ってくる。

“人は生きたようにしか死ねない”

人は生きてきたようにしか死ねない

以前のエントリーにて載せた一節が、胸にまた去来したので再掲。

母親の闘病の助けになればと、日々論文を漁る中で偶然見つけた名もない、PDFファイル。

・「ホスピスケアにおける心理学的問題」
http://p.tl/rs5l
※PDF注意
・本ページ
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002785223

装飾を排除した、生と死の実態が当時と違った感覚で、感じ取れる。

その末尾。
学術論文としてはあまりに詩的な、哲学的な一節。

1.人は生きてきたようにしか現実をみることができない
2.人は生きてきたようにしか学べない
3.人は生きてきたようにしか自分と出会えない
4.人は生きてようにしか体験できない
5.人は生きてきたようにしか幸福になれない
6.人は生きてきたようにしか死ねない

何万人という死の凝縮した一滴のような一節。

「死と太陽は直視できない。」
読むのは辛いけど、是非ご一読を。

思え。

孤独を恐れるな。

傷つくことを躊躇するな。

理性を重んじろ。

学べ。

反省と後悔を混同するな。

今できることを先延ばしにするな。

判断し、選択しろ。

自分を肯定しろ。

選択と判断

昨年僕は

>今年はきっと母と向きあう年になる。

と書いた、結果そうなって、

最終的に僕と母の一年は最悪な結末で幕を閉じることになった。また、そのエントリーの中でこう書いていた。

>死や病に関しての自分の中でのスタンスを決め込むことができた。

こんなのは机上の空論にすぎなかった。
実際の死の前では、スタンスなんてまさに砂上の楼閣だった。

死は怖い、死は暗い、死は美しくない、死は苦しい、死は逃れられない。

そのことがわかった。

また、

>逃げずに、悲観せずに、楽しみ、自制する。

とも書いた。
果たして
逃げなかっただろうか?
ちゃんと向き合っただろうか?
母の支えになれただろうか?

母は寂しい想いをしなかっただろうか?
あの時の自分のあの発言は母を傷つけなかっただろうか?
あの夜の決断は間違えていなかっただろうか?

その問いに答えてくれる母はもう居ない。

きっとずっと、問い続けるのだろう。
やれることはやったんだという自分と、
もっとできたんじゃないかという自分と。

この二年間、やれることはやったんだという自分と。
意識を失う前の最期の数週間を会社終わってからも行けたんじゃないか、もっとできたんじゃないか、実は逃げんたんじゃないかと内なる自分が自分を責める自分と。

その煩悶はきっとずっと続くし、続くべきだと思う。
それはきっとたったひとりで。

判然としない疑問結論の中で、ただひとつ分かっていることは、過去に自分はそう判断し動いたということ。
そして過去を挽回できるチャンスはもう二度とやってこない事。

だから過去の過失に囚われるのでは無く、そういう選択をしたという強い自分も弱い自分も含めた自分とき合おう。

そうして自分と外の世界をよりよい形で変えていこう。
自分の選択に、自信を持てるような環境と論理を形成しよう。

それが、多分あの息子思いの母の望んでいる事だろう。と、薄っすら信じて。

減算

 ●
大事な人が亡くなった瞬間、その悲しみはピークに達する。
そして、時が経つにつれ悲しみは(時として乱高下しながら)、ゆるやかに下降線を描きながら小さくなっていく。

「死と太陽は直視できない」とフーコーが言ったのは、何も本人だけでなく、遺族にも他者にも当てはまる。
毎日の仕事、作業、娯楽の中で、毎日片時も欠かさず、死を意識し続けていることは難しい。

「この人は親を亡くした人なんだな」
「僕は親を亡くした人間だ」といつまでも表明し続ける事はできない。
死は生活に持ち込めない。

だから母の死なんてなかったように、僕の周りの人達は僕に笑顔で接する。
僕も笑顔でそれに返す。

その度胸がチクリと痛む。

その痛みを誤魔化したり続くと、痛むことすら少なくなっていくことに気づく。
すると、僕の心に声がする。

「お前にとって母の存在はその程度だったのか」

と。


宗教を介さない素朴な
「故人を思う事」は、
死に対する一般的な倫理観を下敷きにすると、下記の命題が成り立つ。

命題A:倫理観「命は何よりも重い」=「命の優先順位は最上位で在るべき」=「命を軽んじる奴は悪い」
命題B:他者を思う気持ち「自分だったら忘れてほしくはない」=「忘れられた人は悲しいに違いない」
命題C:事実「自分は死を忘れていく」
命題D:「故人は命題ABを否定しない」

すると、上記命題ABCDが繋がって、
「死を忘れる自分」は「忘れられた人を悲しませて」いて、「命を最優先課題で考えない」、「命を軽んじる悪いやつ」
となる。
これが罪悪感の正体だ。
亡くなった母が蘇って否定でもしてくれない限り、この円環は僕が死んで僕という主体が消滅するか、、或いは完全に感覚が麻痺するまで止まることは無い。

まあ、要は僕は薄情な奴なのだ、とここに告白することで楽になろうとしているのである。


故人を思うことと、生者が普通に生活をする事との間には、
死者との対話が不可能であるという点に於いて、絶望的なほどに深い溝がある。
空に向かって、問うてみても、すがってみても、懺悔してみても何も、無い。
そこには自意識があるだけで、その自意識すらいつか他者に忘れられる。


人は生き、大事な人を亡くし、楽しみ、故人を忘れ、そして自らも死に、世界に忘れられる。

●生きるという事の、死ぬという事の本質が、「忘れる」という事であるなら、
僕は、その「存在の耐えられない軽さ」を直視できない。

逆刃

この世は見たくないものだらけだ。
うんざりするが、僕もその世界の一部だ。
だからそれは見る必要のないものなのかもしれない。

それでも、ただ目を背けていられないばかりか、わざわざ近寄っていって、
地べたに這いつくばって、めくりあげて、ライトを照らして、
見たくないものを見ようとするのは、

それは自ら傷つきたいのではなくて、
本当は自分だけ傷つきたくないだけなのかもしれない。

世界一の微笑

棺桶に入った母と、二人で最後の酒を飲む。
色々と謝らなくてはいけない事があって、
酒を飲みながら謝る。
うっすらと微笑みを浮かべているような、母の顔。
何も喋らないけど、
全てを赦して貰ったような気がした。
母の愛に甘えた後付の解釈をしてるのか、それが正しい事なのか、分からない。
でも、多分、きっと、間違えてない。
ありがとう。
最後まで、ありがとう。