人生皆蜉蝣

二月に母の癌が発覚した。
最初の医者曰く、

「○くらいもてばいいでしょう(敢えて数字は書かない)。」

とのこと。
如何しても「はいそうですか」と諦められなった。

(そんなものじゃないでしょう。自分の母の命は。)

全精力を使ってその病気について調べる。
数十冊の本を買い読み漁り、徹夜してネットで情報を集める。

調べるとその癌で日本で一番の病院は東京にあった。
直ぐに、会社のコネというコネを使って(助けてもらって)、度胸もハッタリも金も使って、足も使って、滅多に使わない頭も使って、そこの病院に転院に至る。
ほぼ満床というその病院において、異例のスピードだった。

最初の病院とまるで違う対応と診察。レベルの高さを痛感。

通常、母のステージでは手術対応外なのだが、手術して見ようとのこと。

それで治るわけじゃない、
癌というやつは自分の細胞が変装したやつで、分裂するわ飛び散るわ伝染るわ死なないわで、敵に回したら怖いタフネスだ。
切った所で諦めるようなヤワなやつじゃない。

でも、母は嬉しそうだったし、家族も勢いづいた。
少しでも苦痛のない生存期間を延ばしたい一心だ。

とはいえ手術自体は、外科の中でも最も難易度の高い施術。
術中死亡率は昔30%もあったし、後遺症は今でも結構な確立で起こる。
誰もが死をも覚悟する。

七時間にも及ぶそんな大手術を、母は無事乗り切った。

CIUでみるいろんな管がついた母はまるで臨終のようで、痛々しく、見ていられず、でもよく頑張ったと声をかけている間は、その目から目を離せなかった。

途中の話は端折るが、みるみる回復し、今では毎日一時間の散歩をするほどに元気だ。
(これから化学治療に入る。総力戦だ。やれることを全力でするまでだ。)

丸二ヶ月毎日病院に通った。
その間、いろんな感情が自分の心に去来した。

怒り。
悲しみ。
喜び。
絶望。
迷い。
喪失感。
希望。
諦念。
幸せ。
決断。

それらが半日単位で押し寄せてくる。

そういった感情のコントロールはいい年なんだからもうすでに出来ていると思っていたが、なかなかそうはいかないものだ。
ひっくり返ったり、元に戻ったりと、自分という船をどうにか前に進めるだけでも精一杯だった。
感情をうまく出せない自分にも、コントロールできない自分にも嫌気がさした。

心から自分/家族/命と向き合った数ヶ月だった。

これをまだ読んでいる人がいたら、少し深呼吸をしてください。
そして想像してください。
家族が癌になるところを。
癌で苦しむ顔を。

少しでも想像できたなら家族を大事にしてあげてください。
そして行動をしてください。

嫌がる親も無理やり検診に連れてってやってください。

癌は早期発見しか解決策のない、エイズより怖い病気です。
どうか、家族をお大事に。
そしてご自身もご自愛ください。

このメッセージを書くためだけにこのエピソードを話しました。
どうか皆様の心に少しでも残りますように。

追記:ミクシーとこちらのブログを分離しました。
こちらは今までどおりに真剣な事からお馬鹿な事までのライフログとして活用して行きたいと思います。
ミクシーはもう少しくだらないことを書く場所に、ツイッターはさらにくだらないことを書く場所にします。

振り返りシート

●高校
過度な相対性による主体の喪失。
歪な鋳型を創造する為の日常。
より高次な自己への憧れからくる根拠無き欠乏感と反証。自己と他者の乖離。
交わらない点。
その点からの逃亡と哨戒。
●大学
カリスマへの模倣と。同位体の憧憬。
肉体と精神の極へ。収斂。
身体性の回帰。
●社会
主体の忘却。
物語への飢餓。
非日常への渇望。
日常と物語の逆転。客体の主体化。
主体の解体。再構築。
変容。
溶解。
生産。
消費。
評価。
粉飾。
忘却。
再考。
粉飾。
忘却。
再考。
再考。

1/3

平均年齢75歳、現在25歳。
もう、人生の1/3は過ぎてしまったんだな。
人生とゆう円グラフの1/3が違う色で塗りつぶされているのをイメージした時、胸がキュッとなり、少し焦る自分がいる。
寝てる時間もいれたら多分2/5は過ぎてるよね。
そんなに今までの人生に悔いはないけれど、「やれた」と思う事は沢山ある。
今年くらいは少し、意識して生き急ごうか。

死ぬほど

死ぬほど
死ぬほど働いて、小さな間取りを借りる
借り、生活する為に働く
電車に乗ると
色々な生活が見える
それはまるで蟻の観察キットのようなマンションが見える
僕らはそれを観察する
類推する
人生の重みを
覚悟を
だがそれを神の目線からみたとき
蟻も
人も
猫も
全ては平等に
全ては平等に
空間だ
空間を
維持するために僕らは血眼になってはたらく
楽しもうが
苦痛だろうが
全て神からみれば平等だ
マンションの群れ
巣の群れ
群集
それぞれのドラマ
それぞれの平等
平等とゆう名の暴力。

海と毒薬

海の側に住んでいると、実際中々海には行かないものだ。
もう潮風は生活の一部であるし、有難味も感じない。
散歩コースでもない限り、わざわざ見に行かない。
でも、無性に海を欲する時がある。
心がささくれ立った時。
どこか爛れた様な時。
そんな時は自然と足が海へと向かう。

欠けた心が海を欲するのか。
心が欠けたからこそ、元々ずっと心にあった海が呼ぶのか。
心が海を呼ぶのか。
海が心にあるのか。
潮騒に心を委ね、広大な視野に開放される。

広大な、あまりにも広大な海。
そら。
僕が今死んでも、未来、死んでも変わることの無い自然。
有機の繋がり。

漣に身を任す。
ひとつの贅沢で、また残酷な癒しだ。


少年が、一心に海に石を投げていた。
僕はそれを美しい光景に感じた。

満たされた気がして、見た事も無い夢見た。

『日が射した気がして、「見た事も無い未明」見てるのさ。』
…はいはい。さあ、もうそろそろカウントをとりたいと思います。

バンドを始めて、六年余り、僕は一体何回のカウントをとっただろうか。
思えば、殆ど全ての曲の始まりはカウントからだった。
そういえば、僕のカウントが印象的だったと言ってくれた人もいたね。

人生はライブだ。
ライブが人生とするならば、今まではまだ、個人練。
そしてその後に仲間とスタジオに入った所だ。
さしずめ、深夜パックって所かな。
ずっと夜通しダンスしてたもんな。
僕らはスタジオで、全力で音を鳴らしていた。
汗をかいて、笑って。
楽器を持つ人も、持たなかった人も。
それぞれの音をもっていた。
必死で練習した。

大人になる事から逃げる為に始めた筈の音楽に、何時の間にか僕らは育てられて大人になっていたんだ。

練習は済んだ。

僕らは今から、それぞれのステージに立つ。
ライブハウスは違うけど、みんな同じ日にライブをしているんだ。
エフェクターを繋ぎ、ジャックをアンプに差し込み、チューニングを終えた。
マイクのスイッチを入れた。
ドラムのセッティングを終えた。
最高の仲間とステージに立った。
学生生活の想い出という、最高のSEが流れた。

僕らは今、ステージに立った。
何処にいても、何をしていても、どんなに離れていても、時間が経っても、
「あいつ相変わらず、あんな所であんな音鳴らしてるよ。」
と、笑って、けなして、誇りたい。

「アイツまだリズム跳ねてやがるぜ」
「相変わらずフックの効いたベースを弾くねえ。」
「うわ、あいつまた変態的なギターソロ弾いてる!」
てな具合にね。
それぞれの人生の音を聴きたい。
「掻き鳴らすコード」を
「粋なゴーストノート」を
「直線的なビート」を
「胸に響く美しいリフ」を

「心躍るカッティング」を
「目の醒めるようなリムショット」を
「感傷的な歌」を

「攻撃的な歌詞」を
「斜に構えた立ち位置」を
「染み入るようなメロディー」を
「浮遊するディレイ」を

「疾走する感覚」を

「腰に来るようセットされたキーボード」を

「つま先で踏み混むエフェクター」を
「繊細なフレーズ」を
「スタジオのあの一体感」を
「次へ進む為のブレイク」を
「青春の轟音」を

「癖になる変拍子」を
「グッと来るフィルイン」を

「漣のようなマーチ」を
「振り返ったときの笑顔」を

「奇跡の様なグルーヴ」を
みんな、見せてくれよ。
それぞれのライブで。

仲間の、先輩の、後輩の、背中を見たい。
そして自分も、背中を見られている事を意識して、頑張りたい。
どこにいてもみんながどこかで、頑張っている。
いい音を鳴らしている。
その事を思うと、僕は頑張れる気がします。
だってドラムがリズム乱しちゃ、ダメだからね。
メソメソする時は終わります。

ライブはもう今まさに始まる。

スポットライトがあたった。
カンカン!

さあ、みんな準備はいいかな?
ギター君。
ボーカルさん。
ベースの相棒!

いつものフォーカウントでいいかな?
みんな、いつもどうりにいこう。
「ライブ」は慣れっこだ。

さあ、行こう!

何も恐くない。

…!

ホームにて

たとえば今俺のうしろにいるやつが突然、やってくる終電に俺をホームに突き飛ばしたとする
「やだな」
「まだやりたい事があるな」
「まだ死になくないな」
「怖いな」
ふと俺は大人になったんだなと思う。

「人間五十年。下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け滅せぬもののあるべきか。」 

好きな舞の一節。
卒論が進まないのでタバコ買いに行きがてら散歩していると、

「おお」

 桜のつぼみが、もうついている。
こんなに寒いのに、ちょこんといやがる。
けなげだぜ。
また今年も散るのに。
桜にとっても「夢幻の如くなり」なんだろう。
でも咲くしかないから咲く。
咲いて、実をつける。
そして来年も寒い内から、つぼみをつける。

敦盛は、悲しい唄なんかじゃなくて、もっとこう、生に対して攻める唄なんだと解釈した。
自分の住んでる団地も、数年後には壊されるらしい。
「豊かになるために壊す」という記事が今日の朝日新聞に載っていた。
人口減少に伴って集団住宅を取り壊し「量」より「質」の住宅を提供していこうとする国策らしい。
郷愁と、恋慕に満ちた僕の古里も、数年後に消滅する。
郷土がまとめて全て消滅するなんて、そんな経験めったに無いでしょ?
ダムに沈むムラと殆どいっしょだよw「質」はないけどねw
虫とか、塔とか、立ちションベンとか、駄菓子とか、土とかそういったものに、将来僕はもう帰ることはできない。

次世代や、高齢者の方が、豊かになるために、古い住宅は壊す。

その選択も
この詩も
桜も

全部、夢幻の如くなり。

それだけに一個の人生は、逆説的に美しい。

こんな感覚を持てる日本人に生まれて良かった。

妄執

「意味が見つからないから良き生を送れないのではなく、 良き生を送れないからこそ意味にすがるのだ」(『生の歓喜』ニーチェ)

の一言に尽きる(この至言は前にも紹介したけれども)。
自分は、多分生が迸るほどの良き生を送れていなかったのかもしれない。
「相対主義だ、価値だ」云々。
時たま自分は、呑むと管を巻いて「意味」という毒を周囲に撒き散らすことがある(つい何年前までは飲まなくても)。
良き生を送れている人に、「意味」なんて問うてもナンセンスだ。
良き生を送っている人に「意味」は不要だから。
「自己」のみで強く立脚できるからだ。
昨日は、恩師に見事に論破された。
いや、論破というか、たしなめられた。
ところかまわず管を巻く僕を、ばっさりと。
恩師はやっぱり、ずっと先を走っていた。
定期的に誰かに「論破」されないとアホな僕はきっと腐敗する。
アホは高飛車になる自分を一回溶かしてまた新しい鋳型に流し込む作業が不可欠なんです。
「恩師」に「恩師」をいつまでも期待する、僕の至らなさを再認識。
なんつーか、まだ、自分、努力がたりん。
努力をして、未来、それでもまだ「意味」を求めていたのなら、それはまだ「努力」が足りんので、まだ凡夫なんです。
「濃度」を獲得して「良き生」に至る道は、まだ遠い。
それだけに、まだ人生は楽しい。

源信僧都「妄念はもとより凡夫の自体なり」

慕情

この時間、この夕日が沈んで夜の帳が下り始める空が紫色の時間。
眠たくても寝れなくて、ひんやりとした布団に入って、意識だけは鋭くなって。
訳もなくとても切なくなる時がある。
子供の頃の記憶か、理由もないセンチメンタルか。

それでも只、布団の中にいる。
慕情というには情熱的過ぎる、虚無感というには人間的過ぎる。
そんな感情。

いずれこの世から消えてなくなる自分が、「今」感じる感情。

自分ひとりにしか感じる事のできない「世界の色」。

故の孤独。

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