奇人伝 1


最近、外回りをしていると、奇人を沢山見かけることが多くなりました。
日々発見する「貴人」を忘却の彼方に葬り去るのはあまりにも勿体無いとの事で、ことあるごとにここに報告していきます。
よろしく。
■倒立男
出没地点;オフィスビルとビルとの間に出没
装備;Tシャツに短パン。ともにボロボロ
時間;昼過ぎ
行動;
昼下がり、お昼を急ぐオフィスワーカーがひしめく雑踏にて。
倒立男は突如、壁を利用した倒立。
そのまま腕たて。
腕力が足りないのか、二回目から頭を打ち着けて腕たて。
一人パイルドライバー。
私の行動;非常に気にはなったが、三回目まで見て、歩き去る。
■胸筋男
場所;朝の東海道線
装備;Yシャツ
時間;ラッシュ時の電車
行動;
私のとなりの席に座っているサラリーマン
突如、胸筋をビクビク動かす
ある一定の法則があるようだが、その法則はとうとう東京駅につくまでわからなかった。
私の行動;寝過ごした
■お芋おじさん
場所;電車内
装備;作業服のようなもの
時間;お昼過ぎの電車内
行動;
かなり空いている社内。
ベンチ型の椅子に座る乗客。
突如やってきたお芋は、ウィスキーの小瓶を床に置くと、電車内で匍匐前進。
第一匍匐。
靴をぬいで、くつろぐ。
ウィスキーを一杯やる。
その後、突如「お芋さん転がり」をする。
社内ドン引き。だが、だれも文句を言わない。
果てしなく転がっていき、見えなくなる。
私の行動;ウォークマンを消して、注視する。

夕立

他人の老いた顔は容易に想像出来るのに、何故自分の老いた顔だけはいくら鏡を見ても想像出来ないのだろうかとふと、思った。

白無垢

雨の鶴岡八幡宮。
しとしと降る雨は、厳粛さを呼び起こさせる。
雨に塗れた大銀杏と背景にある灰色の空は唯それだけで何かを語っているようだ。

大銀杏のすぐ隣にある若宮では、紋付き袴を着て胸をはる新郎。白無垢に綿帽子、角隠しを身につけ、凛と背を正す美しい新婦。
この若宮には御祭神応神天皇の御子、仁徳天皇ほか三柱の神様がお祀りされている。国の重要文化財指定にもなっている。
美しい豪奢な建造物が雨に濡れている様は、馨しいほどの厳粛。

今日、学生時代の塾の恩師の神前結婚式に参加する為、鶴岡八幡宮に行ってきた。
遅刻しそうだったので、足早に鳥居を潜り、手早く手水で口を漱ぎ、手を洗う。
そうして、駆けつけた先には、先に述べた美しい「厳粛」があった。
雅楽の調べが響く中、巫女による神楽舞の奉仕、三三九度の誓盃が行われ、玉串の拝礼、ご両家の絆を結ぶ親族盃の儀が続く。

そして一番感動したのは、二拝(深いお辞儀)のあとの「二拍手」だ。
厳格な冷気の中、ご親族一同が一斉に叩くあのニ拍手の音は何にも勝る美しさであったと感じた。
「パンッ」
「パンッ」
背中に一本、鉄の棒を入れられた様に、背筋が伸び、爽快な気分になった。
これからの素晴らしい可能性に満ちた二人の門出に相応しい、綺麗で澄んだ、人生の音だった。
心から、お二人のご健勝をお祈りしたい(絶対見てないけど)。
一拝を済ませ、新郎新婦は厳かに控え室に帰っていった。

僕の家は基本的に無宗教なのだか、こうした人が本気で何かを信じて作った絢爛な何かの美しさには僕のような一個人には思考を停止させられるような凄まじいパワーがある。
そういうときに得る殆ど霊的な体験は、人生を豊かに、味わい深いものにする。
宗教に於いては、その中にある差異を論じ、争うのではなく、差異を許容し、共有する事の方がなんか得な気がする。

そんな厳粛な場面にあって、いきなり割り込んできてデジカメをとっていた米国人と、何十人もの団体で押しかけ、大声で喚き、沈黙を破った中高年の集団。
何度注意しようと思ったが、恩師の式を台無しにするわけにはいかなかったので断念した。
神聖な場に不釣合いな怒りが僕の中に込み上げる。
式は断じて見世物じゃないし、待ち合わせ場所ではない。

しかし、式自体の厳格な空気はそうした行いをする人を何時しか自然と黙らせた。

後には雨と厳格が、沈黙を包んでいた。

落葉

イチョウの葉が、黄金に輝いて積もっていた。
ふかふかして、柔らかそう。
暖かい日差しにあたると本当に金色なんだ。
いい色してるな、お前。
今日はそこに一陣の風が吹いて、葉っぱはさらさらと流れて、カサカサとしたその音が本格的な冬の到来を風が告げていた。
ふー。
タバコと珈琲が本当においしい季節がくるね。

吐露

努力しても報われないことがあると言う事ほど、受け入れることが困難な事はない。

遊星から来た物体X

ゆっくりとしおりをはさみ、本を閉じる。

読後の余韻に浸りつつ、心地よい眠気を感じたその時、私の眠りは始まる。

後は闇の中を適音で歌うじめじめとしたジャズシンガーの声と、思惟の波さえあれば、僕を安らかな眠りへと誘ってくれるだろう。
それは、この都会にあって最高に贅沢な一瞬だ。

ふむ。
完璧だ

完璧すぎて怖い。
さあ、眠りに…


ビシッ
ビシッ

ビクッ
不気味な衝突音が響く。
背中に悪寒を感じつつ、完全に引けた腰で飛び起きる。

「奴がきた。」

眼鏡をかけていないのと、電気をつけていないのとで、視界は最悪である。
しかし何はともあれ、寝床から非難しなければならない為、急いで飛び起きた。
つま先を痛烈にぶつけ、目の先に星が散る。

「ああ、クッソ」
だが、そうこうしてる間にも、奴は僕の頭上を旋回しているではないか。
痛みと暑さときみの悪さで、冷や汗がじっとりと張り付く。
ああ、なんて不気味な衝突音なんだ。
ビシッ
ビシッ
ビビビ

物憂げなジャズが流れている。
羽虫の音がする。
助けが欲しくて眠っている母を起こす。
そこで一言。

「馬鹿、一人で倒しなさい。私は朝早いのよ」

ああああ、神様。
奴らに掛かれば、家族愛もへったくれもない。
それにであった誰しもが人間悪の最たるものを露呈するのだ。
てか、家族愛ってこの程度のものなのか?!
いいさ、薄情な母親め、絶対に困っているときには助けてやんないからな。
ああ、絶望だ。絶望だ。
みてろ、絶対に奴を打ち殺してやる!


さて、先ほどから僕が悩まされている生物。
それは、つまりこの人間界で忌むべき生物の内数本の指にはいる生き物
「かなぶん」である。
奴らは、矢鱈滅多らに、いたる所に自らの体をぶっつける。
なので馬鹿なのかと思えば、僕らが捕獲に乗り出すと彼らは自らの気持ち悪さを利用して僕らの顔めがけて襲い掛かってくる(これは獣王・ゴキブリにもいえる特徴だ)頭のよさも兼ね備えている。
僕にいわせれば、奴らの武器はその質量と速度なのだ。
なにが気持ち悪いって、そこに尽きるのだ。
あの質量と速度で以て、我が顔面に衝突されたその瞬間を想像した瞬間、奴らに対する嫌悪感が脳髄にインプットされる。
あの質量は、なにか黒々とした臓腑のつまっている感じを。
あの速度は、衝突時の衝撃を連想させる。
その恐怖感が実際には毒も菌も持たない奴らに唯一の武器を持たせるのである。
奴らは人間の高度な認識能力を逆手にとって擬態をした、狡猾な認知生物なのである。
我々が、奴らの速度と質量を克服したら手で握り潰そうが、足で踏み潰そうが、我々の攻撃力の差から歴然と勝利は目に見えている。

しかしそう、敵は我々の認識。

それを克服したときに、僕らは浮世の苦しみを脱する力を得ているに違いない。

況や私はおや。

さて、そんなことを考えながら何とか第一の危機を逃れた私であるが、飛翔する奴に依然として恐れ慄いていた。
僕の採るべき選択肢は二つ。
一、奴を採り殺す
一、奴を採ってから逃がす
である。
大変慈悲深い僕は(臓物が飛び散る画を想像をしてしまって慄いた僕は)、前者を選択する事に決め、玄関にある虫取り網を手に握り締めて参上した。
だが、その前に真っ暗な僕の寝室の上でとび、ぶつけ回っているかなぶんをやり過ごし、電気をつけ眼鏡を奪取しなくてはならないのだ。
こうしている間にも実に高速で飛び回る奴。
第一匍匐(ほふく)の姿勢をとる僕。
「班長殿!自分は1030の方角から敵小隊による機銃掃射を掻い潜りまして、敵トーチカにあります、敵軍のどまんなかにて、照明弾を打ち上げ、我が軍の眼鏡を奪取してくる所存で御座います!」
「よし、いけ!男をみせろ!」

やあ、と一声、眼鏡を奪取した僕は、完全にへっぴりごしになりながら、電気をつける。
……
我が目を疑った。
カナブンの姿がない!
その一瞬に姿を消したのだ。
「貴様は忍びか!!」 っとつっこみをいれてから、無性に全てがおかしくなってしまい、一人で暫し腹を抱えて爆笑。
笑いも治まると熱病が冷めたように、興奮も引けて、僕は再び寝る事にする。
電気を消す。
時間は既に四時。
肩を撫で下ろし、安堵の息を吐く。

「長い戦いであった。」

そうして眠りの世界に落ちようとすると…

ビシッ
ビビビビ
ビシシ

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
・・・・・・・・
そして、都合六時まで奴と格闘。
いや絶対に寝れる訳がない。

そして、ついに虫取り網にて、彼の獲得に成功。

ひとりカタルシスだ。

ここまで来るともはや彼は戦友である。

白々と明ける朝日に向かって僕は高々と彼を離した。

彼はまるで、昨日まで小さな箱でぶつかりまわっていたのが嘘みたいに大空へと、高みへとその小さな体で飛翔していった。

地上には穢れきった僕だけが残された。

随筆

《実験的に今日は普通の日記を書いてみようと思う》
昨日は2限から学校に行き、授業を受けました。
友達は一人もいないので、寂しかったのですが、とても面白かったです。
講義概要によると「ニーチェの初期学問論」がテーマだった為、二週間前から手帳に「ニーチェ」と書き込み、面接をキャンセルしたりして受けたかいがあったってもんです。
部室棟にゆく過程の道に毛虫が散乱してちりじりに飛び散っていました
頭と地面に注意を払いながら突破。
そのあと、行政法の授業を受け、それを抜け出して喫煙所で友人と三島由紀夫とフィッシュマンズを賛美する話をしました。
糞つまらない行政法を受けている間にとても面白い大江健三郎の「ぼくらの時代」に毒された僕は、世界全部が穢れているような、作為とか疚しいこととかで、みんなが動いているような、絶望的なニヒリズムに陥りそうになりながら、政治社会学を受けるが、なんだかすべてが馬鹿馬鹿しく思えて、熟睡。
ちょっとだけおきて、また健三郎。

そして、ゼミの集まり。
卒論に向けての。
ニヒリズムの泥沼にはまって大学生活を溺れたままに過ごした僕としては、そのニヒリズムとメディアの動向を分析した画期的な卒論ができたらいいなあ、などという反社会的な妄想を抱き、妄想が俺の人格であるのかわからくなりました。
けど、久しぶりに見る元気なみんなに元気を貰いました。
なんとなく、思うところがある。

そしてゼミの飲みです。
相も変わらず水掛け論の攻撃的なきく人によっては殆ど言葉の暴力に近いだろう、脅迫観念の象徴じみた僕の人生論を吹っかけたがる悪い癖にみんな答えてくれました。
「幸せ」ってなんだ?
のような、まるで35過ぎの唐突に人生に迷ったギャル男みたいな質問をw

この人たちのおかげで有意義な時間を過ごすことができました。
三年生とは全く話ができませんでした。
「まあいいか。社会に出れば、はいて捨てるほどの無理ができる。」
「これが俺の本質だ。」
と酔ってまた悪い方向に思考が向かいそうになり、訂正。
おっとと。
そのときに携帯に入っていたメモには
《新派シー》←多分シンパシーのこと
《男の評価としての遊戯》
《煙=人生》
などと書いてあったが、あまり覚えていない。
なんだろうこれw

そしてわれら時代の同胞、ゼミの仲間たちと横浜まで「面白い話」を聞きながら帰る。

一人になる。

音漏れを気にしないで、四つ打ちの裏打ちのへべれけに身を委ねる。
議論の陶酔とは一味違う、陶酔。
実は僕の飲み会の一連の流れの中に於ける人知れない密かな楽しみこそはここにあります。
それはどんなしめのアイスクリームより甘美に、どんなお茶漬けよりも僕の心を満たしてくれます。
ちゃりんこに乗りつつ、ペダルをこぎつつ、リズムをとりつつ、ひとり四つ打ちずんずんずん。
月が綺麗だったりして、ベースが効いてたりして、高音が絶妙だったりして、誰もいなかったりすると、最高です。
寂しがりの癖に、孤独も好きという、本質的な矛盾をもった小便垂れの馬鹿者が辿り着いた、家と飲み会の間にあるちょっとした猶予期間なのかもしれないですね。
記憶を全部リセットして、仕、舞えるのです。
ほんの須臾の間だけど。
そこに忘我があるから、きもちい。

そんなこんなで家に到着と同時に就寝。
今日は最終面接、まあまあできた。

ふ、普通の…日記に…ならない..
致命的にユーモアがないなあw
はい、やっぱり人間、向き不向きというものがあるのですね。

 という教訓。

すいまそん

漫画喫茶から書いています
今、家のパソコンが壊れていて更新がままならなくなっていてすいません
隣の部屋に狂人がいます
ずっとわらってます

破戒

今日戸塚の肉のサイトウでサンタの格好をしたオヤジが肉を売っていました。
トナカイの肉かな?
キリストさんも今の日本とか見たらビックリするんだろうなあ。
おばあちゃんが電車で一生懸命立っていました。
その前の席では、疲れ果てた顔をしたサラリーマンが座っていました。
かんべんしてくれって顔をして。
あと病院にも友人のお見舞いで行きました。
あそこにはクリスマスなんてもんは存在していないかのごとくでした。
不健康と、不幸がいっぱいでした。
クリスマスだクリスマスだと騒ぎ立てている僕のような人種に、無言で冷水を浴びせ掛ける空間がそこにはありました。
結局は、社会にメディアにうかされていただけなんだあって。
ああ、果たしてこれはひがみかなあ、負け犬の遠吠えかなあ。

僕は、あいかわらずまたフィッシュマンズを聴きながら家に帰りました。