「不幸論」

中島義道の「不幸論」を読む。
哲学者の新書らしく、そのほとんどが浮世離れした、実用性にかける「おはなし」だ。
死がある限りだれも幸せになれないらしいよ。
だが、浮世離れしているが故に、精神の奥深くにあるニヒリズムの「痒み」を掻いてくれる気持ちよさがある。
その中から真をつく引用をいくつか引用。
「気を紛らわすこと。人間は、死と不幸と無知を癒す事ができなかったので、幸福になるためにそれらのことを考えない事にした。」
「惨めさ、われわれの惨めなことを慰めてくれるただひとつのものは、気を紛らわすことである。しかし、これこそわれわれの惨めさの最大のものである。」
パスカル
なるほど、幸福とは一種の麻痺である。
「そんなことを考え始めてはいけない。そんなことをしたら、気違いになってしまう。」
『一年ののち』 サガン
深淵をのぞくものはなんとやら…ですね。
考えてはいけないのです。
考えなくてはならないのです。
「他人の幸福のすばらしい点は、それがそのまま信じられることです」
プルースト
自分の幸せと他人の幸せのもっとも異なる点はココ。
秀逸な一文。
筆者は、幸福の性格を以下に分類する
1.自己の欲望が満たされていること
2.その欲望が自分の信念にかなっていること
3.その欲望が世間から承認されていること
4.その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れることはない

この原則からすると、我々の幸福は厳密には達成されないことになる。
死の瞬間まで。
死んだら私はなくなるけれどね。
世はクリスマス。
みなさん。
幸せですか?
その幸せは、ホンモノですか??

宇宙最後の三分間

まるで、この数日間は僕にとって幻のようだ。

終わる事が無いように思えた、幻のような宴が終わる。

夜が白けてゆく。

わかってる。
ただ、だから、最後の三分待ってくれ。

Take The A Train.

ただ、遠くへと行きたくなったんだ。

そこにあまり深い理由はない。

時が過ぎていくのが嫌だったのか、いずれ来る何かからの逃避だったのか。

ただ、遠くへ。
残された時間を、忘れて。
遠くへ。
走りだしたかったんだ。

全力で、遠くへ。

新宿で飲んで、明け方まで友達の家にいて、その勢いで大学を訪れ、部室でノートに最後の絵を書いて、そしてカードを解約し、タバコを吸って、品川まで歩き、ちょっと空いている東海道線に飛び乗って、ゆるやかな夕日を見ながら、帰る。
「明日、行こう。遠くへ。」

そう思った時、一人の友人にメールした。

「明日、京都に行かない?」
すると、友人

「寧ろ今日行かない?」

と、言うわけで、夕方にメールして、その後10時には八重洲口から、「青春ドリーム奈良二号」に乗り込み、次の日六時半には京都にいた。

と、言う事で、友人は、僕と一緒に走ってくれた。
京都の街を、僕らは全力で走り、笑った。
バカと、知が交互に現れるような会話をし、
最高のタイミングで全ては進行し、
全てうまい料理で
人のいい方とばかりであった。

感じた事、
思った事、
ゴマンとあるけど、敢えて記しません。

僕達は走り続けました。
全力で共に走ってくれる友がいました。
ただ、それだけ。

僕らは、いつものように笑ってやり過ごした。
ただ、いつもと違う事があった。
この句に、心のどこかで薄ら寒さを感じていた。

僕らは、計24時間、走り続け、泥のように眠った。
最期のその瞬間まで、全力で生きたいものだ。

瞬間は、いつも美しく、そして儚い。

命日

三年前の冬、親戚に買ってもらったお気に入りのPaul Smith、ポールスミスの時計を無くした。
今まで、何度なくなったと思っても見つかった時計だ。
僕はどんな時でも外せば無意識にカバンの中に入れていたから。

先月の28日、久々のバンド練習があった(横浜ゲートウェイの5番スタジオです。偶然ココを見て、見つけた方返してくれたら幸いです)。

汗をかくと金属がどうしても違和感を起こさせるから、僕はスタジオでドラムを叩くときはいつも時計を外す癖がある。
いつもそれでスタジオを出たあとなくしたと思って冷やりとするものだが、それでもいつもは奴はカバンの中からひょっこりでてきた。
いつもいつもでてきた。

何を勘違いしたのか、それが当然の縁だと思っていたんだ。

アイツはいつもでてくるんだ。

けど、今回は違った。

でてこなかった。

概して「当然の縁」は何時の間にかあっけなく終わりを告げるものだ。

大事なものって何時も、無くした時のその喪失感で大切さを気付くよね。
今回もそう。
喪失感が凄い。
「胸にぽっかりと大きな穴が空いちまった(とら)」。

思ってみればあの時計は僕の大学生活の大半を僕と一緒に過ごしてきた時計だった。
あの時計に意思があるとするならば、僕の大学生活の一番の証人だ(メガネは三代目だからね)。

勉強していたときも。
雨に降られたときも。
宮古島の熱気に晒された時も。
筋トレしてたときも。
就職活動していた時も。
練習していた時も。
バイトしていた時も。

全ての飲み会で。
全ての旅で。
全てのライブで。
あの時計はひんやりとして僕の腕にあった。
ただ黙って僕の青春の時間を刻々と刻んでいた。
時間を。
時間を見てくれていた。
僕と共にいた。
ああ。
僕は馬鹿だ。
もっと大切にしていればよかった。
大切にしていればこんな思いはしなくて済んだのに。
こんな喪失感を味わう事はなかったのに。
大きな大きな瑕疵。
僕の大学生活に於ける思い出の証人は、いなくなった。
当事者である、僕だけになった

証人が当事者しかいなくなり
大学生活は終わる。

僕の後悔の念をもって時計を追悼したい。

本当に、本当に大切だった!

彼の失踪を無駄にしないために論理を飛躍しよう。
いつかは森羅万象、全てが消えてなくなる。
僕の大切なもの全て。

いつかその日がくるまで、僕はこの消え入りそうな少ない時間を、関係を貪欲に、味わい尽くしたい。
せめてその前に自分が死にたいと思うのは我儘だろうか。
我儘だ。

人である以上、喪失と戦わなければならない。

大切な物や人に喪失感を味あわせない為に、喪失感と。
僕達は自らの意識が無くなるその日まで、周りの愛すべきものの崩壊を見届けなければならない。
その業を僕らは背負っている。

僕らはそう、世界の全てと失う為に出会ったのだ。
ただ、出会った事もまた、事実だ。

いや、出会ったことだけが唯一の紛う事なき希望だ。

赤ん坊

昼下がり。
電車の中。
僕はバイトに向かう。
やわらかな日差しに包まれたボックス席の向かいに赤ん坊とその両親が座ってる。
彼女はちっちゃいちっちゃいその足をむずむずと動かしている。
むくむくとした頬が、とりおり笑顔をつくる。
その純粋な瞳は、しっかりと母を見据えている。
僕はボブマーリィの『woman no cry』を聴いて、それを見ている。
どうか彼女が、これからの未来、悲観の涙にくれませんように。
どうかこの世界のけがれが、彼女に興味を示しませんように。
どうか彼女が、健やかに健やかに、育ちますように。
小刻みに心地よく揺れる電車の中、大切に母の腕の中に抱かれ、懸命にミルクを飲む彼女とその母の姿に、神々しいものを見た気がした。
そんな、昼下がり。