存在

産まれたと言われると急にリアリティが湧いてくるのなんなんだろう。

お腹の中から出てきたその瞬間に存在が立ち上がってきたようだ。

今は早く抱き上げたい。

抱き上げて存在を確かめたい。

命の始まり

次女が産まれた。

ひとつの命が始まった。

俺が死ぬまで愛そう。

母がそうしてくれたように。

同じ時間、違う場所で

今、妻が手術室に入ったらしい。

新型コロナウィルスのため、側で付き添うことも、手術室の前で待ってることすらできない。

家で果報を待つ。

同じ時間、今このときにも妻の腹は切られようとしてるのに。

同じ時間、違う場所で妻が苦しんでいる。

何もできないのがもどかしい。

コップの縁

娘、寝る前だけ泣いた。

耐えて耐えて耐えた。

でも堪えきれなかった様子。

一滴づつ垂らした水が、コップの縁から溢れるような、そんな泣き方。

とても美しいと思った。

愛しいと思った。

僕と妻と娘と次女の10日間戦争

妻が次女の出産で入院するため、今日から娘と二人だけの10日が始まる。

コロナで出産に付き添えない、男の自分にできることはなんなのか。

妻を想うこと、娘の寂しさに寄り添うこと、次女の健康を願うこと。

しっかり計画して準備して、全力で挑む。

娘がもう一人来るらしい

どうやら、第二子も女性で確定のこと。

長男で唯一の男である私。
正直、跡取りついて考えたことも少なくはない。

だが、第一子の娘が産まれた。
それですべて吹っ飛んだ。
彼女が与えてくれる体験が圧倒的過ぎた。

自分が死んだあとの事はわからん。
跡取りのいなくなった自分の家もしらん。

人間、生きて死ぬまでどんだけ幸福を味わえるかだと思う。それがすべててそれ以上はあの世に持っていけない。責任も取れない。

その点、幸福という観点で見ると、男親にとっての娘は殺人的だ。

その娘が2人。2人。
妻、娘、娘。

気の強い、おしゃべりな女だらけの家で、
どやされながら過ごす人生も悪くない。

いや、最高だな。

トラブルと予測不能こそ、子育ての醍醐味だ

新型コロナによる。在宅×育児のパラレル生活も早3ヶ月。
最初は大変だった育児と仕事の両立も、すっかり新しい日常になった頃、緊急事態宣言は解除された。

嫁は仕事に行き、娘は保育園に行った。

そんなわけで今日、実に三ヶ月ぶりに一人で飯を食った。

ずっと行きたかった、子供お断りのラーメン屋だ。
そこそこ美味かったのだが、何か物足りない。

はて、なんだろうと考えて、わかった。

一人で昼を過ごす、時間そのものがものたりないんだ。

大人が一人で飯を食えば、まぁだいたいすべてのことが予測できる。出発時間、徒歩の道順、食って戻る時間、仕事の前のコーヒーブレーク。
そうだ、計画通り、順調だ。

だが、退屈だった。

思い返してみると、この三ヶ月はすべてが予測不能だった。

娘のうんこが漏れた。
見たこともない虫をみた娘が泣いた。
子猫が死んでいて、娘がそれを潰れてると表現した。
娘がおばあさんにりんごジュースを貰った。
娘がコンビニの外人店員さんに可愛がられた。
朝の神社で家族並んでコンビニ飯を食った。
娘がコンビニに入るやいなやヨーグルトを2つ持って買えとせがむ様になった。
娘が親を二人目の前に並ばせて、自ら歌うようになった。
娘と仕事上がりに公園に行き、俺はビールを呑んだ。

子供が生まれた。
たしかに個人の自由はなくなった。

だが代わりに、トラブルを得た。
予測不能でエキサイティングな体験だ。
一切退屈はしなかった。

そう。
トラブルと予測不能こそ、子育ての醍醐味なのだ。

娘と会える時間は少し減ってしまった。
だがその分、今、この瞬間しか味わえない予測不能な愛しいトラブルを噛み締めよう。

そして何より、娘はかわいい。

ブログ移転のお知らせ

ご訪問、ありがとうございます!
この度JUGEMブログから、オリジナルブログに引っ越すことにしました。

■新URL
https://curlcord.net/

大学時代2003年から書きはじめたので、足掛け17年になります。

その間、モラトリアムに居た一人の青年は、就職し、母と死別し、結婚し、家族も増えました。

そんな折、このブログは遺書みたいなもんなのかな、と思うようになりました。

いつか自分が死んだ時、私という一人の人間がどういうようなことを考えて、生き、そして死んだのか、知りたいと思ってくれた殊勝な方がいたならば、このブログをエッセイ読むように読んでもらいたいなと。

であるならば、もっと力を入れてもいいんじゃないかと思うに至り、無料ブログから引っ越すことにした次第です。

これからも、流れれゆく感情、人生における大切な気付き、そして大事な人に遺したい言葉。
そんなものを綴っていきたいと思います。

なんか今にも死んじゃうみたいな書き方ですが、まだまだ私の人生は続きます。
死を傍らに、忘れずに先に進もうと思ってます。

これからも、どうぞよろしくお願い致します。

林の中の象のように

人からの評価に依存するな。
自分がやった仕事“そのもの”を自らで正当に評価せよ。
自分を評価しない人、しなかった人を逆恨みするな。それは逆に復讐をして腹いせを晴らしているだけのことだ。
いたずらに悲観するな。それはかわいそうな自分を慰めてるだけだ。
思いを込めて精一杯やった仕事なら、その別離は人のせいでも、自分のせいでもない。
それを糧にし、切り替えろ、精一杯やれ、先に進め。

「孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。」

北極星

運命は時として、あがらいがたい力で思いもよらない方向に自分を連れて行く。

そういう時、事実は慄然と目の前に立ち、僕の意志の力をたやすくねじ曲げる。

抵抗は出来ない。踏ん張ってもどうにもならない。
僕は右に、上にと翻弄されるしかない。
洪水の中の一筋の藁のように。

社会、法律、友達、それら目線。病気、事故、不幸。その洪水。

だが、ただ黙って流され、翻弄されているだけじゃない。
選択するんだ。

運命のうねりのなかで、意思を持って舵をきるんだ。

横滑りしながらも、転倒しながらも、それでもあるべき方向を見失ってはいけない。

それを見るんだ。

それは、胸の中にある一番大事なものだ。

それは、
ほっとするものだ。
愛しいものだ。
守りたいものだ。

それを、忘れなければ僕たちは運命に負けることはない。
それを忘れたら、闇の中で、ただ、自分しかいない。
忘れてはいけない。もらったもの、与えるもの。

溺れる藁には無い、意思、選択。

何が起きても、どんな困難でも、その嵐の中で
胸にあるものを忘れずに思い出そう。

思い出そう。