白無垢

雨の鶴岡八幡宮。
しとしと降る雨は、厳粛さを呼び起こさせる。
雨に塗れた大銀杏と背景にある灰色の空は唯それだけで何かを語っているようだ。

大銀杏のすぐ隣にある若宮では、紋付き袴を着て胸をはる新郎。白無垢に綿帽子、角隠しを身につけ、凛と背を正す美しい新婦。
この若宮には御祭神応神天皇の御子、仁徳天皇ほか三柱の神様がお祀りされている。国の重要文化財指定にもなっている。
美しい豪奢な建造物が雨に濡れている様は、馨しいほどの厳粛。

今日、学生時代の塾の恩師の神前結婚式に参加する為、鶴岡八幡宮に行ってきた。
遅刻しそうだったので、足早に鳥居を潜り、手早く手水で口を漱ぎ、手を洗う。
そうして、駆けつけた先には、先に述べた美しい「厳粛」があった。
雅楽の調べが響く中、巫女による神楽舞の奉仕、三三九度の誓盃が行われ、玉串の拝礼、ご両家の絆を結ぶ親族盃の儀が続く。

そして一番感動したのは、二拝(深いお辞儀)のあとの「二拍手」だ。
厳格な冷気の中、ご親族一同が一斉に叩くあのニ拍手の音は何にも勝る美しさであったと感じた。
「パンッ」
「パンッ」
背中に一本、鉄の棒を入れられた様に、背筋が伸び、爽快な気分になった。
これからの素晴らしい可能性に満ちた二人の門出に相応しい、綺麗で澄んだ、人生の音だった。
心から、お二人のご健勝をお祈りしたい(絶対見てないけど)。
一拝を済ませ、新郎新婦は厳かに控え室に帰っていった。

僕の家は基本的に無宗教なのだか、こうした人が本気で何かを信じて作った絢爛な何かの美しさには僕のような一個人には思考を停止させられるような凄まじいパワーがある。
そういうときに得る殆ど霊的な体験は、人生を豊かに、味わい深いものにする。
宗教に於いては、その中にある差異を論じ、争うのではなく、差異を許容し、共有する事の方がなんか得な気がする。

そんな厳粛な場面にあって、いきなり割り込んできてデジカメをとっていた米国人と、何十人もの団体で押しかけ、大声で喚き、沈黙を破った中高年の集団。
何度注意しようと思ったが、恩師の式を台無しにするわけにはいかなかったので断念した。
神聖な場に不釣合いな怒りが僕の中に込み上げる。
式は断じて見世物じゃないし、待ち合わせ場所ではない。

しかし、式自体の厳格な空気はそうした行いをする人を何時しか自然と黙らせた。

後には雨と厳格が、沈黙を包んでいた。

3件のコメント

  1. 確かにムカつくよね。
    でも俺も観光客だったら撮りそうな予感もする。
    まぁ、素敵なお話だな。
    しんみLI。

  2.  だから自分が観光をしているときは、節操のある行動をしようと思うのです。
     どっかの国の宗教心のある若者に殴られても文句は言えないモンね。
     

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