力ない母を、ほっそりしてしまった母を、そっと抱き締める。
少し安心したようで、呼吸が緩やかになる。
痩せて骨ばってしまった母の身体。
だから余計に直に響く心臓のリズム。
喋らなくなってしまった。
お風呂沸いたよと、言う事もなくなってしまった。
指を握ってくれなくなってしまった。
寝ている僕に毛布をかけてくれる事もなくなってしまった。
帰宅時間を尋ねるメールをくれる事もなくなってしまった。
ワイシャツのボタンをとめてくれることもなくなってしまった。
でも、
その温もりと心臓の鼓動はからは、紛れもない愛を感じる。
途方もない愛。
抱き締めた母の胸から、直接、暖かい安らぎを感じる。
僕はいつも、捻くれたように振る舞い、厭世的な事ばかり言い、ネガティブな事ばかりいっていた。
自分を卑下する事に慣れていた。
だが、これからはそれも改めなくては。
僕には母からもらった物がある。
一番大きなプレゼント。
誇らしい、誇らしい、プレゼント。
それは、間違いなく僕の中にある。
暖かく、わかる。
辛いけど、
その贈り物に恥ずかしくない人生を送るよ。
絶対に。

痛み

実家に戻ると全ての物が母の思い出に溢れている。
ありありと思い出せる。
フラッシュバックする。
声が。
仕草が。
愛が。
どこをみても、胸が痛い。

夕暮れ

窓の外からは、遠くで子供たちが遊ぶ声。
優しい夕日が差し込む病室。
安らかな寝顔ですやすやと眠る母。
この時間がずっと続けばいいのに。
と、罪な事を思う。

無い

現実に、筋書きなんてない。
起承転結なんて無い。
起こる事が、因果の結果に起こるだけ。
美談なんて、それに都合よく後付けしただけ。
現実は、美しくもないし、綺麗でもない。
トイレにいっている時、食事を買いに行ってる時に、なくなっているかもしれない、怖い。
形の無いものの殆どは意味がない。
ただし、形のないもののなかで、母に貰った無償の愛だけは、ここにある。
心の中にしっかりとある。
わかる。
暖かい。

世界に一つ

世界にひとつしかない、お袋の手。
世界一のお袋の手。
俺を形創ったお袋の手。
その手の温もりは昔のままなのに、数日のうちに骨になるなんて。

呼吸

次の一息で最後になるんじゃないかと、何度も思う。
大事な人が息をし続けてくれてるという、当たり前のことをこんなにも有難いと思う。

しん

しんとした病室に、母と二人。
力がなくなってきているのか、胸水のためなのか、時折、呼吸がとまり、このまま止まってしまうのではないかと思い、堪らなく胸が痛い。
無力感で、唐突な事で、あまりの事実の大きさに、考えがまるでまとまらない。
幾千、幾万の料理を作ってくれ、僕を抱き締めてくれ、叱ってくれ、教えてくれた、母の手はもう動かない。
温もりだけは、昔のまま。
その温もりさえも、間もなく失われ、二度と触れることも出来ないと思うと、寂しさが込み上げてくる。
だから、今はこの、
闇に落ちていく時間。
夜の底で二人。
手の温もりを忘れないぞと、胸痛みと共に胸に刻む。

8時過ぎに行きつけの美容室に行ったら、こちらがちょっと参ってるの察して、コップに入った純米吟醸をトンと鏡の台に置いてくれた。