僕と妻と娘と次女の10日間戦争

妻が次女の出産で入院するため、今日から娘と二人だけの10日が始まる。

コロナで出産に付き添えない、男の自分にできることはなんなのか。

妻を想うこと、娘の寂しさに寄り添うこと、次女の健康を願うこと。

しっかり計画して準備して、全力で挑む。

おなかのおっぱい

と、娘に言われた。

俺のビール腹を指しているらしい。

おなかのおっぱいに頬ずりしてくれる娘を見ると、もうすべてどうでもよく、良い。

娘がもう一人来るらしい

どうやら、第二子も女性で確定のこと。

長男で唯一の男である私。
正直、跡取りついて考えたことも少なくはない。

だが、第一子の娘が産まれた。
それですべて吹っ飛んだ。
彼女が与えてくれる体験が圧倒的過ぎた。

自分が死んだあとの事はわからん。
跡取りのいなくなった自分の家もしらん。

人間、生きて死ぬまでどんだけ幸福を味わえるかだと思う。それがすべててそれ以上はあの世に持っていけない。責任も取れない。

その点、幸福という観点で見ると、男親にとっての娘は殺人的だ。

その娘が2人。2人。
妻、娘、娘。

気の強い、おしゃべりな女だらけの家で、
どやされながら過ごす人生も悪くない。

いや、最高だな。

旅の一日の終わりに

旅先でヘトヘトになるまで歩き、帰ってきたホテルで呑むビールが好きだ。大好きな音楽があるとなおいい。

火照った身体を、静かに収める時間。

遠く離れた地から、人生を振り返る時間。

旅先で聴いた曲は、その時感じた旅情をありありと思い起こさせてくれる。

https://youtu.be/6u_GuyvhGwU

音楽はずっと変わらない。

でも僕たちは年を取る。
大きくなる子供、年を取る家族。

変わり続けて行く世界。

せめて音楽の中だけには、時間を閉じ込めておきたいと、旅の最後に、またビールを呑んで、音楽を聴くのである。

トラブルと予測不能こそ、子育ての醍醐味だ

新型コロナによる。在宅×育児のパラレル生活も早3ヶ月。
最初は大変だった育児と仕事の両立も、すっかり新しい日常になった頃、緊急事態宣言は解除された。

嫁は仕事に行き、娘は保育園に行った。

そんなわけで今日、実に三ヶ月ぶりに一人で飯を食った。

ずっと行きたかった、子供お断りのラーメン屋だ。
そこそこ美味かったのだが、何か物足りない。

はて、なんだろうと考えて、わかった。

一人で昼を過ごす、時間そのものがものたりないんだ。

大人が一人で飯を食えば、まぁだいたいすべてのことが予測できる。出発時間、徒歩の道順、食って戻る時間、仕事の前のコーヒーブレーク。
そうだ、計画通り、順調だ。

だが、退屈だった。

思い返してみると、この三ヶ月はすべてが予測不能だった。

娘のうんこが漏れた。
見たこともない虫をみた娘が泣いた。
子猫が死んでいて、娘がそれを潰れてると表現した。
娘がおばあさんにりんごジュースを貰った。
娘がコンビニの外人店員さんに可愛がられた。
朝の神社で家族並んでコンビニ飯を食った。
娘がコンビニに入るやいなやヨーグルトを2つ持って買えとせがむ様になった。
娘が親を二人目の前に並ばせて、自ら歌うようになった。
娘と仕事上がりに公園に行き、俺はビールを呑んだ。

子供が生まれた。
たしかに個人の自由はなくなった。

だが代わりに、トラブルを得た。
予測不能でエキサイティングな体験だ。
一切退屈はしなかった。

そう。
トラブルと予測不能こそ、子育ての醍醐味なのだ。

娘と会える時間は少し減ってしまった。
だがその分、今、この瞬間しか味わえない予測不能な愛しいトラブルを噛み締めよう。

そして何より、娘はかわいい。

同じ辛さは三ヶ月持たない

同じ辛さは、三ヶ月持たない。

逆を返せば、三ヶ月我慢すれば、どんな辛さにも慣れると言うことだ。

世界がひっくり返ったコロナ騒ぎが今はどうだ?
家で働くのに慣れた。伝染病と付き合いながら外出するのにも慣れた。

転職の心配はどうだった?
プレッシャーによるストレス、新しい環境への不安は思いの外すぐ慣れた。

子育ては?
辛い時期はあった。ギリギリの時期はたしかにあったけど、なんとか夫婦で乗り切れた。今は凪いだ海のように幸せだ。この経験があれば、きっとこれからも乗り切れる。

人間関係のトラブルは?
軽いものから裁判沙汰までいろいろあったが、思いの外すぐに慣れた。日常生活に戻った。

ストレスは高所トレーニングのようなものだ。 酸素が薄いのは最初はしんどい。
息が続かないのはこの世の終わりと思うほどにきつい。 でもきっと、慣れてしまえばそこで暮らせるようになる。 ぐっすり眠れるようになる。

もし今後、怒り、悲しみ、悩みを感じたら、三ヶ月以内にそれらの問題は去ると認識しよう。 俯瞰的にそれらの感情を観察しよう。 今は辛いかもしれないが、いづれそれは去るか慣れる。

なんでそれがわかるって?
今まで、自分が歩んできた道が証明しているからだ。 自分が1番それをよくわかっているからだ。

ブログ移転のお知らせ

ご訪問、ありがとうございます!
この度JUGEMブログから、オリジナルブログに引っ越すことにしました。

■新URL
https://curlcord.net/

大学時代2003年から書きはじめたので、足掛け17年になります。

その間、モラトリアムに居た一人の青年は、就職し、母と死別し、結婚し、家族も増えました。

そんな折、このブログは遺書みたいなもんなのかな、と思うようになりました。

いつか自分が死んだ時、私という一人の人間がどういうようなことを考えて、生き、そして死んだのか、知りたいと思ってくれた殊勝な方がいたならば、このブログをエッセイ読むように読んでもらいたいなと。

であるならば、もっと力を入れてもいいんじゃないかと思うに至り、無料ブログから引っ越すことにした次第です。

これからも、流れれゆく感情、人生における大切な気付き、そして大事な人に遺したい言葉。
そんなものを綴っていきたいと思います。

なんか今にも死んじゃうみたいな書き方ですが、まだまだ私の人生は続きます。
死を傍らに、忘れずに先に進もうと思ってます。

これからも、どうぞよろしくお願い致します。

嫁に泣かれた話

たわないない会話の中で「俺は早死だと思うから、おじいさんになって死んだら後はよろしくねwww」みたいな話題?はカップルでも夫婦でもあることだと思う。

この間娘が産まれて数週間くらいのこと。

そんなようなことを話したら、嫁がポロポロと泣き出した。

曰く

「貴方が死んだら私もすぐ死ぬ」

「つらすぎて後を追う」

「あなたのいない世界に意味はない」

と。

「死んだら俺はもう思考しないんだし意識ないんだからそんなことはやめてくれ」

「第一子供がいるから寂しくないだろうし、子供も哀しむよ。もし万が一意識があったら俺も哀しむよ。」

と俺。

いや、それとこれとは別なのよ、と嫁。

まぁ、そんなこんなをとりとめもなく、お互いに感情的になって話した。

死を思ってかなりセンチになったし、俺もジーンとした。

「後を追う」

その言葉が、その時その瞬間の気分だとしても、将来それが実行されないにしても(全然してほしくないのだけれど)、実はすぐ他の人と幸せになるとしても、そう言ってくれた事は、とてもとても嬉しかった。

いつか終わり、今も虚無に向かっている人生だけど、最後は一人になってしまう人生だけど、その路の途中で、ここまで言ってくれる人と出会えてよかった。

結婚したときのブログで「いつか死によって別れるのが怖い」と書いた。

大事なものがますます大事になって、ますます怖くなったけど、救いも増えたような気がする。

夫婦でポロポロ泣いた夜は、瞬間かもしれないけど無くならない。

夫婦でいい人生を送ろう。

そして死ぬその日まであの日のことを覚えておこうと、思った。

「理想の素晴らしい今ではない何か」と「今の自分」を比べる無意味さについて。

あいまいにしか思い出せない単純化された過去の自分を回顧して懐かしむ。
本やメディアで啓発された立派な自己像を夢見てみる。
人の言う、人の常識に翻弄される。
それら、「今の自分じゃない何か」を今の自分に当てはめて、その【差分】を課題と思ってみたところで無駄だ。
なぜならそもそも自分自身ですら把握出来ない程、
・複雑で
・多様で
・雑多としていて
・毎日変化する
・複合的で
・理解不能な
「今の自分」と、
・一面的で
・主観的で
・わかりやすくて
・普遍的で
・単一的で
・理解しやすい言葉でできた
誰かが啓蒙のために創った「概念」や、自分が思い出せるだけの今眼前にないペラペラの「過去の自己イメージ」や、人が生成する主観的な「普通の常識」などといったものとでは、そもそも、比較の指標が違うのだから、正確な比較などできるわけもないからだ。
∞である自分と、何かしらの1とか8とか33の別の指標を比較してみたところで、なんの意味があるだろう。
だが、それでも比較をしたならば、
永久に主観的な(あるいは客観的な)差分は埋まらず、自己像やアイデンティティは欠損したままとなる。
死ぬまで不足感や欠乏感は拭えない。
進歩進化進捗。
過去はよりよかった。
未来はよりよいものだ。
他人はもっとすごい、素晴らしい、常識的だ。
そんな進歩進化進捗を根拠とした意味と根拠の無い比較、否定の因習に囚われていたら、今の自分は誰が認めるのだろう。
誰が愛するのだろう。
いつ、【そこ】に到達するのだろう。
だから思う。
複雑で、変化し、捉えようのない、あるがままで美しいこの世界を、自分を、他者を、できるだけそのままで愛そうと。