引き算
朝起きたら布団の中でTwitterとFacebookとインスタグラムの更新状況をチェックし、
起き上がると同時にTVをつけてザッピングし、
トイレを済ませながらマンガを読み、
イヤホンを耳に差し込みながら家を出て、
通勤電車内ではRSSで取得した2ちゃんまとめや有名ブロガーの更新情報をただ眺め、
全部見終わるとまたSNSをチェックしてる頃に会社につき、
コーヒーをいれ、PCを立ちあげて、
経済、広告業界、事件、芸能ニュースに目を通し、
メールをチェックし、
昨日と未来のTODOを整理し、
仕事に取り掛かる。
仕事の合間にも情報は押し寄せ、
また自らもSNSやニュースサイトに情報を取得しに行く。
帰り道も、帰っても、情報は山のように押し寄せてくる。
また自分でも中毒のように情報を取りに行く。
これがいつもの一日の過ごし方。
振り返るとその情報のすべてが自分の遠くで起こっている事象の単なる確認に過ぎず、それを得ることによる安心のために情報を触れたいという欲求過ぎず、つまるところはそのすべてが自らの血肉にならない「寂しさ」や「不安」の塊のクソだと気づく。
あゝ、クソと戯れるために残り少ない貴重な時間を切り売りするなんて、なんて壮大な人生の無駄使いだ。
こうして泥酔の翌日の悔恨のように、その情報の津波から逃げたくなる。
そう
ミニマルな世界へ。
ミニマルとは、「最小限の」という意味である。
多くの情報から大切な情報のみを選択するという事。
人生から情報を引き算をしなくてはいけない。
大切な情報だけを選択し、摂食する。
これが人生を豊かにするヒケツなんじゃないかと最近思う。
ちゃんとしたものを食べ、
読み、
見て、
聞き、
書き、
動き、
話す。
なかなかどうして社会や依存はそれを許してくれないけど、
意識することで多少、変わるんじゃないかなと思う。
足し算はもういいだろう。
人生に本当に必要な事だけ、それだけを摂取していればいい。
何が幸せなのか、何故生きるのか、どう善を成すのか、どう死ぬのか。
考えるべき大事なことは山ほどある。
引き算だ。
常に、引き算を心がけよう。
先日、富士五湖の西湖に行き、数時間程座って、湖面を眺めていた。
碧い空、ゆっくりと動く雲、しんとして鈍色の鏡のような湖面。
引き算を重ねた景色。
その時間は驚くほど何もなくて、信じられないくらい豊かだった。
ああ、またあそこに戻りたい。
戻って、座わりたい。
それでいいんだ。
それだけで。