吾唯足知

幸せと死は紙一重のところにある。

幸せは永遠には続かない。
破綻は、常に頬ずりするほど傍にある。
血が流れる、肉と肉の間に皮一枚を隔てて破綻が流れている。
強かに。静かに。

普段僕たちはそれに気付かないだけだ。

即ち、幸せと死はほぼ同じ所にあって、同じようなものだということ。

「無いものを有ると妄想し、いずれ滅びるものに永遠を望む所に苦が生まれる。」

と仏陀は言った。
幸せと死を相対に見るから心が乱れるんだと。

もう少し大きな視野で、今この瞬間を瞬間として「得る」。
足ることを知る。
今ある幸せを、生を享受する。
そして今を精一杯生きる。

きっとそれが出来たらどんな時でも心は平静で、幸せだ。

その心構えが今、僕には必要だ。

(とはわかっているが、なかなかどうしてそうはいかない。)

人生皆蜉蝣

二月に母の癌が発覚した。
最初の医者曰く、

「○くらいもてばいいでしょう(敢えて数字は書かない)。」

とのこと。
如何しても「はいそうですか」と諦められなった。

(そんなものじゃないでしょう。自分の母の命は。)

全精力を使ってその病気について調べる。
数十冊の本を買い読み漁り、徹夜してネットで情報を集める。

調べるとその癌で日本で一番の病院は東京にあった。
直ぐに、会社のコネというコネを使って(助けてもらって)、度胸もハッタリも金も使って、足も使って、滅多に使わない頭も使って、そこの病院に転院に至る。
ほぼ満床というその病院において、異例のスピードだった。

最初の病院とまるで違う対応と診察。レベルの高さを痛感。

通常、母のステージでは手術対応外なのだが、手術して見ようとのこと。

それで治るわけじゃない、
癌というやつは自分の細胞が変装したやつで、分裂するわ飛び散るわ伝染るわ死なないわで、敵に回したら怖いタフネスだ。
切った所で諦めるようなヤワなやつじゃない。

でも、母は嬉しそうだったし、家族も勢いづいた。
少しでも苦痛のない生存期間を延ばしたい一心だ。

とはいえ手術自体は、外科の中でも最も難易度の高い施術。
術中死亡率は昔30%もあったし、後遺症は今でも結構な確立で起こる。
誰もが死をも覚悟する。

七時間にも及ぶそんな大手術を、母は無事乗り切った。

CIUでみるいろんな管がついた母はまるで臨終のようで、痛々しく、見ていられず、でもよく頑張ったと声をかけている間は、その目から目を離せなかった。

途中の話は端折るが、みるみる回復し、今では毎日一時間の散歩をするほどに元気だ。
(これから化学治療に入る。総力戦だ。やれることを全力でするまでだ。)

丸二ヶ月毎日病院に通った。
その間、いろんな感情が自分の心に去来した。

怒り。
悲しみ。
喜び。
絶望。
迷い。
喪失感。
希望。
諦念。
幸せ。
決断。

それらが半日単位で押し寄せてくる。

そういった感情のコントロールはいい年なんだからもうすでに出来ていると思っていたが、なかなかそうはいかないものだ。
ひっくり返ったり、元に戻ったりと、自分という船をどうにか前に進めるだけでも精一杯だった。
感情をうまく出せない自分にも、コントロールできない自分にも嫌気がさした。

心から自分/家族/命と向き合った数ヶ月だった。

これをまだ読んでいる人がいたら、少し深呼吸をしてください。
そして想像してください。
家族が癌になるところを。
癌で苦しむ顔を。

少しでも想像できたなら家族を大事にしてあげてください。
そして行動をしてください。

嫌がる親も無理やり検診に連れてってやってください。

癌は早期発見しか解決策のない、エイズより怖い病気です。
どうか、家族をお大事に。
そしてご自身もご自愛ください。

このメッセージを書くためだけにこのエピソードを話しました。
どうか皆様の心に少しでも残りますように。

追記:ミクシーとこちらのブログを分離しました。
こちらは今までどおりに真剣な事からお馬鹿な事までのライフログとして活用して行きたいと思います。
ミクシーはもう少しくだらないことを書く場所に、ツイッターはさらにくだらないことを書く場所にします。