「不幸論」
中島義道の「不幸論」を読む。
哲学者の新書らしく、そのほとんどが浮世離れした、実用性にかける「おはなし」だ。
死がある限りだれも幸せになれないらしいよ。
だが、浮世離れしているが故に、精神の奥深くにあるニヒリズムの「痒み」を掻いてくれる気持ちよさがある。
その中から真をつく引用をいくつか引用。
「気を紛らわすこと。人間は、死と不幸と無知を癒す事ができなかったので、幸福になるためにそれらのことを考えない事にした。」
「惨めさ、われわれの惨めなことを慰めてくれるただひとつのものは、気を紛らわすことである。しかし、これこそわれわれの惨めさの最大のものである。」
パスカル
なるほど、幸福とは一種の麻痺である。
「そんなことを考え始めてはいけない。そんなことをしたら、気違いになってしまう。」
『一年ののち』 サガン
深淵をのぞくものはなんとやら…ですね。
考えてはいけないのです。
考えなくてはならないのです。
「他人の幸福のすばらしい点は、それがそのまま信じられることです」
プルースト
自分の幸せと他人の幸せのもっとも異なる点はココ。
秀逸な一文。
筆者は、幸福の性格を以下に分類する
1.自己の欲望が満たされていること
2.その欲望が自分の信念にかなっていること
3.その欲望が世間から承認されていること
4.その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れることはない
この原則からすると、我々の幸福は厳密には達成されないことになる。
死の瞬間まで。
死んだら私はなくなるけれどね。
世はクリスマス。
みなさん。
幸せですか?
その幸せは、ホンモノですか??