思想

「その背後に思想なくして、真の音楽はない。」
ってショパンが言っていたらしいよ。
だから、この仮説は真なりとは言えないけど、少なくとも我々より説得力があるこどは事実。
やっぱり、音楽には思想がいる気がする。
動機もいる気がする。
芸術にも然り。
けど反論もわかる。
どっちをとるかといったら、やっぱり思想は欲しいところ。
また、驚くべき事に二千年前、プラトンは彼のユートピア的理想国家論の中で音楽の魔について言明している。
「人々は享楽的で程度の低い旋律よって惑わされ、堕落させられて、反道徳的な感情に走るだろう。」
と、警告し音楽について厳しい検閲をすることを薦めている。
いや、まさに昨今の現状を言っているみたいだよね。
トランスとか、今の商業ロックとかなんとかさ。
人間の本質をわかっている人は予言もできるんだね。
多分イエス様も、仏陀様もそういう才能があった人なのかもね。
しかしこんな苦言もある
「世の中の大抵の人は世間の殆どの人間が自分より愚かで劣っていると考えている。」(出典不明)
らしいから、昔のプラトンもショパンもそうだったのかもしれない。
これみんなそうだよね。
俺もそう。
よく戒めないと、よく陥るよね。
対した根拠も実証もなく、侮蔑しちゃうこと。
ダメだね。
いけないね。
実際まあ、この人たちはすんごい人たちだから、凄く説得力あるけど。
神域にいるオジサマ達は芸術について何を考えてたんだろうな。
ただ
「おやじの説教と日本酒は後で利く」(白木屋の便所より)
らしいから、聴いといて損はないと思うな。
最後に。。
「芸術こそ至上である!それは生きる事を可能にする偉大なもの。生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である。」
「善とは何か――人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。悪とは何か――弱さから生ずるすべてのもの。」
(ニーチェ「権力への意志」)
卒論が色々脱線してますね。。。

「卒論から脱線した研究は楽しいものである。」

(しょうじ)

25件のコメント

  1. テンプレートもとに戻してみました。
    みにくいですが、すいません。
    前のやつすごく気に入っているので、いずれまた別の用途で使います。

  2. >「人々は享楽的で程度の低い旋律よって惑わされ、堕落させられて、反道徳的な感情に走るだろう。」
    うんうん。
    俺の友達も夜な夜な「倶楽部」とかいうところに行って非生産的に酒を飲みながら音楽を聴きつつただ踊り狂って、そんな中でも異性を意識し続けた奴がいたわー。
    結局、電話番号交換しただけで終わったらしいんだけど。www
    それもみんな思想のない「音楽」のせいなのかな?w
    その時の音楽はそいつを救ってたんじゃないのかな。
    例え俺の友達が倶楽部で聴いていたのが浜崎あゆみやEMINEMでも、そいつの前でプラトンやショパンがその台詞を言い放ってたら俺はそいつらを殴るよ。w
    その友達は今は割としっかりしてる。
    いや、「今も」か。
    頭はまだまだ固いけどね。w
    >「世の中の大抵の人は世間の殆どの人間が自分より愚かで劣っていると考えている。」(出典不明)
    わかっちゃいるけど…ってか。w

  3. うわう!
    つうーれつなイロニー!!www
    ああ、お前の友達みたいなやつって結構いるよねーw
    ほんとどこかで見たみたい。
    そういうやつってほんとに音楽に救われてたんだよw
    「ポップミュージックをきくから情けないのか、情けないからポップミュージックを聴くのか」(映画ハイフィディリティより抜粋)
    みたいなw
    はい。
    基本的には俺はお前が前に言った
    「いい音楽や悪い音楽なんてなくて、好きな音楽と嫌いな音楽しかない」
    ってゆう立場を支持します。
    そこに「動機」や「思想」が「あって欲しい」ってゆうのが、お前と一線を画するところなのかもしれないね。
    それを確かめるすべはないけど、その希望はずっとすてられないというか、
    「作為」があるところにどうしてか嫌悪がおこるの。
    頭固いよね、君の友達w
    でも、多分ショパンやプラトンはソフィストみたいなあの時代特有の俺みたいな
    詭弁を弄する相対主義に陥らんとしてあんな極論を言ったのかもしれないね。
    あの時代背景とか研究してる暇はないけどさ。
    どういうこと思ってたんだろうね、偉い人は。
    いちを念をおしておくと
    この文章では偉い人だから正しいってことをいいたいんじゃなくて
    昔の偉い人も真面目に音楽や、その周辺やそれにもとづく国家論なんて馬鹿馬鹿しいことを一生懸命に考えていたんだなあってゆう
    「驚き」
    をおれはみんなに伝えたかったんだよね
    最近卒論やってると引用クセがついていけませんね。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF
    こんな定義つくったんだねw
    最近ずっとウィキペディア見ているのが趣味。
    スノッブだなあ自分。

  4. こういうことを真面目に考えてる時こそ頭が廻ってるんだよね。 いざ、卒論を・・・ となると ニューン・・・ と脳内の地球儀の回転が遅くなりますよね。
    あと、しょうじ文章をはなからバカにしてるヤツもバカだよね。 
    「やらなくて後悔するよりやって失敗する方がいい」月9のドラマのオヤジ(宇津井健)

  5. ほんと、そうですよ。
    今くらいっすよ、何の利権もしがらみもなく芸術だなんだってくだをまけるのは。
    てかえ?!
    俺の文章馬鹿にしてるやつがいるんすか?
    内緒にしますから、こっそり・・・ね・・?w
    いや、嘘です。良いと思います。
    「気に食わないなら、よまなきゃいい」
    っつうのがここを始めた当初からのスタンスですのでw
    いい事、出来たらいいし、いい事だと思わない人はきっとここの趣旨を理解できない方だと思われます。
    反面読んで頂いている方には非常に感謝です。

  6. 「ものづくりの前提にはつくる側に哲学が必要である。
    人の幸せとは何か、幸せを実現するためにこの技術をなぜ、どうやって使うか、エンジニアは真摯に考えなければならない。」
    技術屋たちの熱き闘い 日経ビジネス人文庫
    ↑航空技師の言葉。
    なんかの足しになれば。というか、話を広げてみる。
    ちなみに僕は完全なSLAVEだから!!
       笑

  7. ものつくり(仕事)と、芸術とは違うよね。
    全体主義の起源」を書いた社会学者ハンナアレントって人もそこの意見は違うみたい。
    でも、そこんとこどうなんでしょうね?
    う~ん
    芸術も対象者を想定している以上、ものつくりの範疇なのかね。
    そこんとこまた議論の対象にしても面白そうw
    でもいい言葉ありがと、なんかしみるねw

  8. art
    技術 とも 芸術 ともいう。  
    どちらもスベ。
    そうみると、関連あると思うよ。この見方ならね。
    芸術も僕はものづくりだと思います。もののかたちは問わず。

  9. どちらも、術ではあるが、「技」と「芸」が違うよね。
    似てはいるけど、そこんとこは違うのかも知れないね。
    生活に深く結びついているものが、ものつくり、そこをどうにかして超越しているものが芸術なのか。
    芸術は多分哲学者みたいな奴のすることで、内面へとむかう道、ものつくりとは活動的な奴がすることで、生活を豊かにするための道。
    どっちも人間にひつような要素だとおもうからどっちも立派だと思うな。
    ほら、ものつくりも動機がやっぱり必要さ。
    ・・・いや物語なんていらないかw
    おれもスレイブだよw

  10. どーも!メガネばっかりですね!
    ひとつ
    「art」の元の意味は「技術」で、いうなれば「芸術」は「生きるための技術」なんだそうですよ。「芸術」は「art」を輸入したときのあてがわれた造語で。映画でいう邦題みたいな感じなんでしょうね。
    僕は思想はあってもなくてもいいと思いますけどね。行動それ自体が思想だなんて言ったら革命戦士みたいですけど。作品=作者(またはその思想)なんてことは、モーツァルトの昔ならともかく、今じゃ成り立ちませんし。
    行動も思想も他者ですからね。

  11. 矛盾へ
    ほえー そうなんか。 邦題ライクとな。
    ショウジへ
    「芸術の域」に達する、とかいうもんな。超越だな。
      
    art is long, life is short. なんてゆうことわざがさ、
    おれの中で、技術をより高みに連れて行ってしまうのよ。

  12. どうも、めがねです。
    有り難う二人とも。
    「芸術」の定義、まあひいては「美」の定義だけどさ、そんなことは有史以前から星の数ほどの偉人達が思索してきたが答えの出たためしのない事でさ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E)。
    一つ一つの言葉に一人一人の言霊の解釈があって、ひとりひとりの個性と人生と同じだけの解釈の数があるってことじゃん?
    言ってしまえば大変限定された理解しかないと思うのよ。
    だけど「絶対違う」とかいってしまうと理解の幅を狭める事になるから俺は勿体無いと思うのよ。
    ぎりぎりのところで話し合うしかないと思う。
    それで袂を別つなら、それもまたいいじゃないかと。
    それもまた美しいんじゃないかと。
    ので俺はある程度の許容範囲路を残しつつ、
    【そこに「動機」や「思想」が「あって欲しい」】
    ってゆうのが俺の理想かな。
    実はその背景にはにひりすてぃっくな世界観があるんだがね。
    しばじゅん>
    うん。俺は
    作品=作者
    ではないが、
    完全に
    作品≠作者(及び思想)
    でないことは無いと至極普通に思う。
    分裂症でもないかぎり、過去体験に基づく自意識からは逃れられん。
    だとしたらそこに「あってほしい」「あったほうが好ましい」ってゆう選好が生まれる訳です。
    ばね>
    でもやっぱりものつくりは、実際素晴らしいとおもう。
    実益がない生活なんてないと思う。
    美の追求は所詮、それを「せねば生きていけない人」以外にとって生活のスパイスくらいにしかならないものなのかもしれないね。
    嫌いなシニシズムだけどさ。
    実用に耐えうる美しい工芸品はそれだけで屈服するし。

  13.  どうもす。
     しょうじ兄ヤンは、意外と民主主義者ですよね。他人様の庭でコメント合戦するのはどうかと思いますが、「大変限定された理解しかないと思う」というのは、直球のシニシズムですよ。
     兄ヤンの言う、作品にあってほしい「思想」っていうのは、作品に表れる/現れる、作者の指紋のようなもののことなんでしょうか。肉体性、血、肉、なんでもいいんですけど。表すというよりは表れてしまう、って類の。
     あと「動機があってほしい」っていうのはどういうことなんでしょう。「志」とかではなく?

  14. いやあ、なんか「にやり」てするよねw
     文字での議論ってあんまりやらないから面白い(>_<)
     マラルメも書く行為が人間存在の証明だなんていってたし。
     さて、ここで議論の軸を明確にするために今の自分の思想的立ち位置をざっと説明したいと思います。
     ご指摘のあった民主主義ですが、これは解釈の誤りで、文脈的にも思想的にも自分はどちらかというとリベラリストです。
     「おい、お前はバリバリの保守主義だろ」との声が聞こえてきそうですが違います。
     議論や価値観の違い、表現の自由などは大いに認めるべきと考えています。芸術云々に自分が口をはさむ時にいつもいっていることですが自分はそういう表現一般については「あって欲しい」程度の願望しかもっていません。
     人間存在は究極的には孤独であり、人生にも宇宙にも意味なんかないんじゃないかという、ニヒリズムがその根底に流れています。
    まともな理性をもっていればまあそれはわかることで。
    僕と仲が良い友達はみんなそんな僕を知ってるとおもいますが。
    好き勝手やったらいいんじゃないかと。
     
     僕がいつも声高に叫ぶ、「保守」の論調はあくまで政治、行政、教育に限ってのことです。
     道徳教育や、政治制度、国防、法整備などはある程度の規則があるべきと思いますね。
     そうしないと国民の生命財産が危ぶまれますからね。
     
     三島を僕が信奉しているのは僕が天皇崇拝者なわけではなく、彼が「凄いこと」をやってのけたからです(因みに三島自体は筋金入りのニヒリスト)。
     一人の男が腹を斬った。
     一人の男が偉大な作品を書いた。
     だから、信奉するのです。無意味かもしれない世界のなかに輝きを見れたような気がしたから。
     彼が叫ぶ全体主義思想の中にはバタイユの言う「呪われた部分」「究極のエロス」があって極限の共同性を冀っているのです。
     素直にいいと思ったんですね。これ。
     知行合一、つまり思想と行為の合一。
    自分は美とはつまり陶酔を与えてくれるものなのではないかと最近思っています。
     さらに自分の価値観の中では美と善は非常に近いものがあります。
     善と行為と陶酔があれば、それを追求し、その彼岸になにか見えれば(見えることはなくても)そんなことをしているうちに忙しくて人生は終わるでしょう?
     俺はそれで良いと思っています。
     「意味のない事に意味があるという意味に意味がある」ということ。
     それがつまり僕の捉える美です。
     
     この二点をあわせ考えるとつまり僕は「新保守主義の亜種」って事になるんですかね。
     
    でも自分は別に教授でも論壇の人間でもないので、酒を飲めば楽しいし、儚さを楽しむ事もあるし、嫉妬やねたみそねみのルサンチマンから記事を書くこともありますよ。
    そこの愉悦を感じることだってありますさ。
     肩肘ばって書く事ないしね。 
     ざっというとこんな感じ。矛盾だらけw
     
     しばじゅん>俺が表現としての芸術に求めるものは「動機の所在」かな、正確に言えば。
     「表現の動機が産業ベースに乗っかって、効率的な再生産を目的とした、大衆操作的な動機がないこと。」「自分のエゴイズムのみの拡張が動機でないこと。」
     「そこに(悪辣な)作為がないこと。」
     と素朴に思いますが、そんなこと確かめるすべはないよねw?
     あと「嫌いな」って言ったのはそれが出来てない自分がやだったの。どちらかを貫けていない自分が。
    あとしばじゅんは「限定されない理解」があると思う?つまり「網羅的な他者理解」とでもいうのかな?聞きたいな。
     
     

  15. あぁ、なんか立場の表明までさせちゃってすいません。
    リベラリストですか、確かに兄ヤンはリベラルだと思いますよ。いや、前からそう思ってました。別に民主主義でもなんでもよくって。
    それはそうと「限定されない理解」「網羅的な他者理解」のことです。
    率直に言ってそれがどんなものか、はっきりしたことは言えません。ただ、「限定された理解しかない」っていうのは余りにも安易に過ぎるし、胡散臭いしんじゃないかと思うんです。「限定された理解」はスタートであって、ゴールとして目指すものではないと。
    もちろん、兄ヤンはそれへの抵抗として「ぎりぎりのところで話し合うしかない」と考えるんでしょう(合ってます?)。僕もそれには共感するところがあります。
    限定されない、網羅的な他者理解をするのなら、相手を殲滅するかされるかになるでしょう。そこでは互いの自由や価値観など、真っ先に排除されます。美しい善意や醜い悪意など入り込む余地はありません。僕が考える他者理解とはこういうものです。
    で、まぁ間違っても自他の自由や価値観など問題にするべきではないと思います(「価値観」なんてもう死語ですし)。
    あ、「動機」のことわかりました。でも「動機」の一語に収めるには三者三様が過ぎますよー。

  16. しばじゅん>
    いえいえ、一回自分の思想史的立ち位置を明確にしておかなければと思っていたところなので丁度良かったですよ。
    【「限定された理解」はスタートであって、ゴールとして目指すものではないと。】
    そうなんだよ、だから話し合うのさ。
    じゃなきゃこんなところで面倒くさいこと書かないで、明日にでも死んでしまえば良いわけでさ(極論)。
    けど今俺が予想できるその彼岸には。「限定された理解」しかないと薄々感じているのだよ。
    それは君のいうように、ただ人間にとって素朴な状態なんだと思うんだけどね。
    けどそれに一抹の空しさも禁じえない時があるの、僕は。
    だからリベラルなくせにバタイユ的な愉悦にあこがれてみたりするわけさ。
    「巨大な共時性」
    とでも言おうかな。うん。個性の殲滅だね。ブッティストの言う涅槃的な視座にもあこがれるってことは。
    ただ、現実的に見たときにそれらは今は現実化のしようのない事でそれらの思想を玩具にして遊ぶ程度のものでしかないかな。これからどうなってゆくかはわからないけどね。
    「限定された他者理解」をシニシズムと言ったら「網羅的な他者理解」がしばじゅんにとっての芸術理解の理想なのかなあなんて考えたんだ。 違うみたいだね。その辺はグレーゾーンなのかな。芸術専攻の君が他者理解にどういう観念を持っているか興味があったからさ。
     
    「動機」の事は実は前回の「J-POPの社会学」や、今までの日記で論じてきましたw
     知ってるわけないよね。ははは。
    ばね>昨日NHKでやっていた板金職人の特集、凄まじかったよ。みた?
     やっぱり、ものつくりは日本の誇りだね!
     ありゃもはや、芸術だ。。
     立派!いぶし銀!!

  17.  記事が二重に三重に投稿されてたようで、すいません。
     「限定された他者理解」がシニシズムなのではなく、「~しかない」というのがそうなのです。「限定された理解」では飽き足らないから話し合うわけですよね。その先にあるのが元の「限定された理解」なのかもしれないと怯えつつ。掌を走る孫悟空みたいに。
     芸術理解の理想ですか!うーん、「全部知りたい」っていうのが理想になるならそうですね。それが「網羅的」に「他者(芸術)」を「理解」するってことなら。そのために先に書いた「話し合い」の覚悟が必要だと思うんです。個性の蹂躙から、価値観の崩壊から理解は始まるじゃないですか。
     ん?なんか薄っぺらい話になっちゃいました。
     
     

  18. あわわわ NHK見逃してるYO!
    残念丸。。
    すげーな みんな。考えてんだな色々。
    よきかなー
    ってか、ショウジここまでレス伸びて、嬉しいっしょ?? 笑

  19.  しばじゅん> 
      ふむ。
      今していることが「ぎりぎりの話し合い」じゃん?
      そこでの相違は致し方ない部分がやはりあるじゃない?
      例えば僕らが本気でどちらか一方を自分の個性を侵食せしめ蹂躙しようと思い、相手の価値観を破壊しようと思ったならば、僕らはもっとえげつない方法で論破しようと試みるでしょう?
     僕らだけでなく、もっと他者に働きかけ、自我の膨張を謀る筈でしょ?
     僕らはもう「議論の作法」を熟知しているから、そういった破綻をさけてうまくやっている。
     そうした現状自体が「限定された他者理解しかない」状態を生んでいるのだと思うのです。
     「しかない」っていっても悲観しているわけでも、馬鹿にしているわけでもなく、そうでないとそれこそ個なんてものはいらないし、芸術の多様性も糞もなくなってしまうと思うのだよね。
     それを人間が実現させるとしたら僕は、宇宙生命と合一になるあの世か、それにかぎりなく近い、戦場のみだと思っています。
     
     後しばじゅんが否定した「価値観」の所在だけど、今でも僕は言葉どうりの「個々に於ける価値の感覚」は存在し、死語ではないと思うな。現に今つかってるのは違うのかな?文字どうりの解釈が時代遅れなのかw
     因みに自分が「嫌いなシニシズム」と表現したのは「美の追求は所詮、それを「せねば生きていけない人」以外にとって生活のスパイスくらいにしかならないものなのかもしれないね。」の部分で、それは美の追求と言う態度をも包括的に嘲笑してしまう態度の事。自分がちょっともってしまった感情について。
     シニシズム及びニヒリズム(両者は全然違うけど)はしっかりと見据えるに値する概念だと思ってます。今でもね。
     今回の議論の流れで貴重なことを炙り出せたね。
     
     今回のぎりぎりの話し合いに於いては、他者理解の差異が明らかになった。
     君は芸術に於いて個性を蹂躙し、個性を崩壊せしめる事によって得られる地平(全ての理解)を目指している(重要な事だろうから間違ってたら訂正してちょ)。
     僕はそれを物理的に不可能(ある状態を除いて)だと思っている。が、どこかで痛切な憧れを持っている。
     
     だから、結論。
     僕はこれから君が表現するだろうものに期待しようと思うよ。
     
     ばね>みてなかったかあ!なんか光みたいな職人がでてきて、ずーと合金を作ってるのw
     それがヤバイんだよ。職人の魂は不滅だよね。職人は偉い。今から俺サラリーマンになるけど、職人には敬意をはらって生きていこうと思うよ。
     コメントが多いことが嬉しいと言うか、自然にこうなってるよね。
     みんなで議論できることが嬉しいw
      

  20.  なんだかまとめてもらったようで。収拾。
     兄ヤンはこれを「ぎりぎりの話し合い」と考えるのですね。
     極端かもしれませんが、「自分の個性を侵食せしめ蹂躙しようと思い、相手の価値観を破壊しよう」とするのが殺し合いだとすれば、「ぎりぎりの話し合い」は殴り合いだと思います。それに比べると、この話し合いは小突き合いやじゃれ合い程度でしかないんじゃないでしょうか。
     確かに相違はあって当然ですが、それをじゃあどうするのか、というのが問題だと思います。仮に『「議論の作法」を熟知』している者が「破綻をさけ」、結果「限定された他者理解しかない」「現状」を生み出しているのだとすれば、兄ヤンはなぜその「議論の作法」や「破綻」を疑わないのでしょうか。「君は君だよ 僕は僕だよ」にしかならない「議論の作法」なら、「破綻」を選んだ方がマシなんじゃないでしょうか。
     もちろん「破綻」の淵で踏み止まっている自分に言えたことではないのですが。
     「価値観」を「死語」と書いたのは、そのレベルで議論していたんじゃ議論にすらならないと考えるからです。「相対」でモノを考えることが当然と見做されている今だからこそ、「絶対」は考えられるべきでしょう。だから僕は、「価値観」なんて語は死んだものとして話し合わなくちゃいけないと思うのです。
     なぜ兄ヤンはこの程度の話し合いを「ぎりぎり」だなんて考えてしまうのでしょうか。どこに「ぎりぎり」があったというのでしょう。相違によって他者は見つかりました、というだけじゃないですか。ここには「限定された他者理解」すらありません。それは唾棄すべきコトナカレ主義ではないのですか。それともレクリエーションの一種ですか。単なる思考のお披露目会ですか。
     ブログのコメント合戦に期待する僕が愚かなのでしょうか。

  21. 君の言うことには矛盾だけに矛盾があるように思うよ。
    君の言っていることは相対化を否定して絶対主義を取り入れるって事でしょ?
    自分の意見思想を持って、他人の意見を崩壊させると。
    君の理想は自己を拡充し、他者を否定し、その増殖を狙うことでしょ?
    だとしたら、今ここで君が議論していることにも意味はないでしょう?
    自分の意見に絶対的な自信をもっているのなら、ここで他者の意見を吸収することに意味はないし、相対的に物事を考える必要はない。
    自己の内部に於いて帰着すればいいじゃない。
    もちろん君の最終目的への戦略として、人間理解の手段として方法論的な視座でつかうなら納得はいくけど。
    そうでなく絶対主義の採用をそうして君が標榜するならば、君の行動は矛盾しているということになる(現に君も「議論の作法」を使って議論していない?)。
    大体君は「殴りあう」「殺しあう」などと大言壮語を語っているけど、それを実際に行ったことがあるのかい?
    そうした立派な思想はそれを体現するまで心にしまっておくべき類のことで、それを為す前に表明し、他者に押し付ける行為は机上の空論を振りかざした詭弁にほかならないよ。
    行為の伴わない雄弁な思想は最早滑稽でしかないなんていったら革命戦士かよなんていわれそうだが、じゃあ革命戦士のほうがまだましだと思うな。
    軽々しく、そうしたことはいうものじゃない。本当にそうしたことをやっている人に対しての侮蔑になる。
    もしきみがそういうことをしていたり、為そうとしたなら、それの実例を教えて頂けないですか?
    あったのなら鄭重に非礼を詫びます。
    大体まず、君は僕にとって「得体の知れない人」なんだよ(気をわるくしないでね)。
    君についての認識は、シンカン合宿でごみを拾ってくれた偉い人であり、ギターを弾く人であり、ブログで面白いことを書いている人であり、飲み会で「宇宙は四角いんじゃないか」といった面白き良い後輩であり、意外に正義漢で、また別の良い後輩の事を大切にしている彼氏である….というくらいで、君の思想や作品に触れた機会はない。
    君がどういうことを表現したいのか、どういう思想を、美に対して、表現に対して、他者に対してもっているのか、そこまで話したことないじゃない?
    それが君のスタイルだとおもうんだけど、ブログでも言明しないし。
    今からそれをしようとしているわけでさ。
    だから、最後に「君の表現に期待している」
    て書いたんだよ。君の作品とかみてみたいもの。
    多分君もそういうことを思っているんだろうなと思って、俺は立場の表明までしたんです。
    これじゃ議論が細分化されたところでしか進まないと思ったからね。
    でも議論は抽象的なままになってしまった。
    僕はそこが妥協点だと思った。
    だから、僕が「ぎりぎりの議論」だと思ったのは「現状の関係を壊さないぎりぎりの議論」のところかな。
    「君という不明確な人間像を探りながらできるぎりぎりの議論」とでもいおうかな。
    君を知らないままで適当に批判して破綻をしてもそれこそ無意味だと、相対主義者でニヒリストの僕は思うのですがw
    君がその関係まで壊すことを望んでいるのかな?
    俺は小さい人間だから、まだ君みたいな面白い人間との関係性を失いたくはないのでそれはやりたくはないな。
    ここのブログは、「気に食わない人はみなくていい」っていいのが昔からのコンセプトなんですw
    いわば、他者破壊までする芸術発表の場ではない。
    論壇じゃないんだから。
    わかってると思うけどさ。
    僕は特定個人の攻撃はしないし、意見の強制もしない。
    だから、気に食わない人はみなくてもいいんです。
    ここは意見の共有、もしくは反対する意見を持ち寄って本気の議論をすることで見える光明を見る場であって、破綻をきたすようなことを諭す場でもない。
    そこに破壊がなくてはならないと思うのは君の価値観だよ。相違による人間理解の発見のなにがわるいのかわからない。
    それを臆病と謗るのも自由だけど、今までそうしてなんとかやってきたのですw

  22. <つづき>
    僕は、他人様の価値観まで破壊するなんて事はいえないし、できないと思います。
    殺人ですら、それをすることはできないと思う。
    人を殺したって価値観からは逃れられない。ぶんれつ病じゃないかぎりね。
    それでも君が、他者破壊を望み、こうした議論の形式を「打破すべき」というのなら、君は一人で生きて行ったほうが良い。
    他人に甘えたり、依存したりというのは、君の言う「破壊」とほど遠い。
    君の準拠集団全てに背を向けるか、破壊したほうがいいともおう。
    僕のみるかぎり、君は何一つ破壊していない。
    経済的にせよ、精神的にせよ、真の攻撃性とは、「殺人」まで仄めかす攻撃性とは、そんなものじゃない。
    まず、他人様を批判するまえに、自分自身を破壊したほうがいいと思う。
    それは君が目標とする「全部理解する」ということからはほど遠い、惰性だ。
    君が依拠しようとしていることは全て君の目指す表現の妨げとなる甘えなんじゃないか?
    と邪推してみるw
    すいません、失礼なことをたくさんいったね。
    本当にごめんね。
    これでどう?ぎりぎりになってきた?w
    まだだよねー

  23. おいー
    長くてコメント欄が遠かったぞ  笑
    応酬が白熱だが、まだまだ割ってくおれ。
    ハラハラしてみてんよ

  24.  こういうのが楽しいですよね。わいわいがやがやしてるのが。携帯でコメントしようかと思ったら、コメントの欄まで表示されませんですよ。
     僕、そんなに「破壊」とかしたくないですよ。そんなこと書いてませんよっ。
     「破壊」はひとつの結果であって、目的じゃないですよ。
     ・「君の言っていることは相対化を否定して絶対主義を取り入れるって事でしょ?」
     そうですね。
     ・「自分の意見思想を持って、他人の意見を崩壊させると

     え、どうしてそんな流れに?そんなこと書いてないですよ。
     ・「(現に君も「議論の作法」を使って議論していない?)」
     これは、先のコメントで自覚してるってことを書いてます。で、僕自身「甘いなァ」と思っている次第です。
     ・「「殴りあう」「殺しあう」などと大言壮語を語っているけど、それを実際に行ったことがあるのかい?」
     ・「もしきみがそういうことをしていたり、為そうとしたなら、それの実例を教えて頂けないですか?」
     今昨日のコメントを読むと、「殺し合い」の序章として「殴り合い」がある、みたいに読めちゃうので、そこは僕がヘタクソです。すいません。「殺し合い」と「殴り合い」は正反対の概念です。「殴り合い」は生きて終わることを前提にしてますから。
     で、文字通りの「殴り合い」も比喩としての「殴り合い」も、したことあります。後者の実例だと、同居人とのがそれです。
     ・「俺は小さい人間だから、まだ君みたいな面白い人間との関係性を失いたくはないのでそれはやりたくはないな」
     同じ言葉をこちらから。尊敬してますよ。逆に言えば、これがあるからもっと突き詰められると思います
     ・「ここは意見の共有、もしくは反対する意見を持ち寄って本気の議論をすることで見える光明を見る場」
     ですよね。僕は何かを兄ヤンに押し付けているわけではないってこと、わかっていただけてますか。
     「破壊」って言葉が独走していますが、僕が今まで書いてきたことをまとめると「他者との関係における、自己の再構築」なわけで、大したことは言ってません。真剣に誰か、何かと関係を結ぼう、理解しようと思えば、誰もがやることですし、そうなってしまうものです。そこでは「価値観」も再構成されますよね。当然「破壊」だって含まれます。
     <つづき>のコメントのことを言うと、待ってましたの「JASUI」。こういうことが必要なんじゃないかと考えます。なぜか、面白いからです。「得体の知れない」モノに飛び込んでいく邪推こそが、他者への接触にほかならないのではないでしょうか。これこそが「殴り合い」のきっかけです。
     今回の議論で欠けていたのは「面白さ」じゃないでしょうか。もっと互いに踏んだり蹴ったりできたと思います。
     昨日のコメントはけっこう煽ったつもりでしたけど、ダメでしたね。もっと罵声浴びせたりできたらよかったなと思ってます。ここがまだまだ甘チャンな僕です。
     これでコメントするのはやめにします。お付き合いありがとうございます。また文字喧嘩、議論、なんでもいいんですけど、わいわいがやがやしましょう。
      

  25. いやしかし、長いねえw
    しばじゅん>
    ・破壊したくなんかないですよ
    その前の質問で俺は「 君は芸術に於いて個性を蹂躙し、個性を崩壊せしめる事によって得られる地平(全ての理解)を目指している(重要な事だろうから間違ってたら訂正してちょ)。
    」っていちを確認とともに断っていたのに訂正なかったから、てっきり。
    すまんすまん。
    再構築なら、凄く普通ジャン。
    それは俺も思ってココでやってることだよね。
    ただ、強度が違うだけ。
    殲滅とか殺人とかいうから、てっきり相手を灰燼に帰すまで叩きのめすのかと思ったよ。
    そこで新しくつくりなおすなら、まるでそこには「愛」があるみたいじゃん。
    へ~「愛」はあるのかあ。
    ちょっと突き放したような言い方をするからドライな人かと思ったら、やっぱりそこはそうなんだね。
    ふむ。
    ・「殴り合い」の件
    なるほど、比喩としての殴り合いかあ。
    比喩だったんだねw
    すいません読解力不足でした。
    比喩にしなくていいんじゃないかな?それ。
    口論とか、口喧嘩で済む話じゃないかしらん。
    そしたら、殺し合いの比喩は決別を覚悟した口論て事になるのかな。
    したら、「覚悟がある口論」でいいんじゃないかと思う。
    迂遠な比喩は、この場合殺し合いを本当にしている人に対して失礼に値すると俺は思うから。
    本当に命を賭けている人に対してね。
    ・何かを兄ヤンに押し付けているわけではないってこと、わかっていただけてますか。
    うん。押し付けてはいないよね。
    っというか逆に何か奪ってやろうとか、なんか掴んでやろうってゆう気概を感じるw
    こちらこそ、尊敬してますよ。
    君の表現に期待してます。
    それが理解できようともできなかろうとも。
    君なら面白いもん作ってくれるよきっと。
    ・邪推
    へ~
    理解できないもんに根拠なく飛び込んでいけるんだ~?
    俺はそれを躊躇しちゃうたちだからさあ。
    こうしてなんとか議論の体を保てるまではある程度、その人の思想なり著作なりに触れないとやはし探り探りになるね~w
    読んだり聞いたりしてからじゃないと、失礼だとおもっちゃうんだよ。
    俺も、いきなり根拠もなく邪推されるとちょっと思うことあるしw
    それこそ殴り合いなんて不可能w
    相手が殴り返してくることにも期待しないし。
    しばじゅんのそういうとこ素敵だねえ。
    いいね。
    じゃあ、このあたりでコメント合戦終了と致しますかw
    また、なんかあったらいつでも乱入してきてくれ!
    なんか、自分の考えを整理するイイ機会になったよw
    ありがとw
    ばね>
    これもう携帯じゃ怖くてみられないねw
    かなり長丁場の議論であります。どうか鷹揚の御賢覧を。

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