『 老人は海を見つめている。
果てしなく広がる豊饒の海を。
その顔には幾重にも重なる皺が深く刻印されている。
彼の人生に於ける、懊悩が、歓喜が、苦難が、克己が、その全てが一つ一つの溝に表れている。
その目には寂涼とした世界が映るのか、それとも満足の光で包まれた世界が映るのか…』


さて、この話はしかし、人間の話ではない。
この話の主人公、つまり第一人称の「老人」は、一個の、ありふれた鞄なのである。
鞄は、40年以上も前、その彼の主人が若者であった頃その手によって偶然選び出され、購入された。彼は京都職人の手によって誕生した。
鞄である彼には、その購入の理由など知る由もなかったし、また興味も無かった。
主人にただ従順に仕えることが運命付けられている鞄は、その役目を果たす事のみに、その全生命を注いだ。
ある時は、重い荷物を無理やりに詰め込まれ、苦しい思いもしたし、またある時は主人の出張に付き合うため、日本中を駆けずり回されもした。あまつさえ、酔ったご主人にタクシーの中に忘れ去られた事もあった。
しかし、鞄は覚えている。
何度壊れても、破けてもその度に修繕をし、大事に大事に使って頂いた事を。
何度忘れても、どんなに遠くても絶対に翌日には彼を迎えに来てくれたことを。
そうした長い長い年月、鞄と主人は敬意と愛情の関係を保ち、様々な困難に立ち向かった。

取引先に足蹴にされずぶ濡れになった悔しさ、プロポーズの瞬間、不可能と思われた商談を勝ち取った歓喜、愛すべき両親との別離…
様々な栄枯盛衰が彼と鞄の横を滑り落ちていった。
幾つものドラマが、生まれては消えていった。

そうしていると、時がいつしか、彼らに永劫消える事の無い深い皺を刻み込んだ。
その一つ一つの皺は彼らに、唯一無二の個性を付随し、その存在とその生き様を輝かせている。
降り積もった時の重みと、その過程にある努力の重みとが混ざり合って、その存在を主張しているのだ。
今、二人は、海を眺めている。
過ぎ去った時間と、その重みを味わいながら。
数々の戦いと、それを乗り越えた思い出の歓喜を噛み締めながら。

冒頭の疑問文をここで訂正しよう。

人生を全力で駆け抜けた者に後悔は、無い。
彼らは相棒に深く刻まれた皺を見て、それを確認するのであった。

さてこのモデルとなった鞄は既に僕の元にある。この物語を自分のものと出来るか。そんな課題を、未来の僕に課してみたいと思う。】


…なんて文をとある会社の課題作文で書いたのは半年前。
ちなみにこれお題は「鞄」だった。
懐かしいなあ。就職活動。
てかこの文、殆ど遊びじゃんね(笑)
いや、それ以前に

・・・この鞄、無い!(笑

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