拳闘士

我が家には、
15年と4ヶ月歳の団子がある。
といっても食するものではない。戦う団子だ。

そいつは赤土を主な原材料としている。適度な水分を与え、輝き磨き上げた「つや」が黒々と光っている。
「誰よりも硬く」「誰よりも美しく」

そう少年は考え、近所各地の遊び場にある粒子の細かい砂をふりかけ、何日も何時間もかけて磨く。惚れ惚れとその黒真珠のような美しさと、その潜在的にもつ「強さ」に見とれる。
そして自らの及ぶ限りの英知と技巧をもって作り上げたそれを、友人らと砂塵舞う公園に持ち合い「決闘」を行うのである。
ある一定の高度から落とされた団子は、重力によって加速度を増し、相手側の団子へ向かって落下していく。

そして一瞬の後、勝敗は決するのである。

勝者は歓喜の声を上げ、敗者は本気の涙を流す。

つまるところ、僕は「遊び」とはこうあらねばならぬと思っている。常に男はこのような真剣勝負の感覚を忘れてはいけないのではないか。

純粋でひたむきな情熱をもって、磨き上げ、鍛え上げる事に意義がある。
そうして作り上げ、愛しさえした団子を恐れずに勝負の場にさらすことに意義がある。
また、真二つに砕けた団子を見て、悔し涙を流すとも、更なる高みを目指し、新たな相棒の制作に取り掛かる姿勢に意義がある。
勝利ようとも慢心せず、次なる刺客との勝負に備えたゆまぬ努力で鍛錬をすることに意義がある。

団子は言わば、そうした「生き方」の象徴であるのだ。
団子は自らの身をもって「遊び」の枠を超え、少年に「強さ」を教えてくれたのかもしれない。

さて、ちなみに我が家の誇る戦士は幾多の団子との壮絶な戦闘を終え、今は我が家のガスメーターの中で黒光を放ちながら静かに蟄居している。
先日、十年経た今も一人孤高に誇らしげな彼の姿を見て僕は、姿勢を正し、凛と生きようと思った。

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