僕が旅に出る理由2013
旅は、全く確証の無い未来に我が身を投げる、人生において数少ない行為である。
投げる事そのものは計画ができても、投げた後何がが起こるかについては、何一つ予見する事はできない。
この足が一本を進むその瞬間瞬間に、新しい景色が開け、それにより新しい経験をし、新しい人と出会い、新しい想いを抱く。
つまり我々は背後の「全て」と眼前の「ゼロ」に挟まれた瞬間的な存在であり、そこには偶然もなければ可能性もない。
村上春樹『羊をめぐる冒険』
ゼロとすべての間にある行為が旅だ。
<社会>:コミュニケーション可能なものの全体
<世界>:ありとあらゆるものの全体
宮台真司『14歳からの社会学』
<社会>(=日常)じゃなく、<世界>に直接触れる行為、それが旅だ。
なので、その旅の瞬間瞬間に相対としての<いつもと違う生>が、溢れる。
良い事だけじゃない。
アクシデントや、悪い事や、損失、その全てに自分の判断、生が絡みつき、我が生と一体化する。
坂道を落ちる雪玉のように、(善悪に関わりなく)経験はすればするほど生にまとわりつき、経験を、人間を深くする。
深くなった生は、今の生(日常=社会)にも影響を及ぼす。
旅の間に深くなった生は否応なく、現実の日常の自分の生(と社会との関わり方)を比較、検討、対策、対応することを要請する。
その事で自分の日常へと、その足りたい部分、欠落している部分をフィードバックする事ができる。
そしてその欠落感と反省の経験が次の旅を渇望する事につながり、次の「放り投げ」へと連鎖していくのだ。
一人なら一人の、二人なら二人の。
未知への冒険。そして、その経験。
それは何にも変え難い、自分だけの、そして二人だけのものである。