在り方

人は、いや人の生き方は、

世界の認識の善悪に出る、
話題とその選び方に出る、
その言葉の選び方の節々に出る、
そのふるまいの品にに出る、
全ての行動の方向性に出る、
身なりのアピール性に出る、
身体の姿勢に出る、
細かい表情の表し方に出る、
刻まれた顔の皺に出る。
 
結果、人との関わり方に出るし、
人の反応に出るし、
仕事に出るし、
生き方に出る。
死の看取り方にも出るし、
我が身の死に方にも出る。
 
全てはありのままで、裸のままで自分の前にある。
ただ、見るだけで良い。
やるだけで、良い。

肯定

死は乗り越える事でも、
忘れる事でも、
逃げる事でもない。

常にそこにあって、生の輪郭を際立たせるものだ。

あなたがそばに居てくれたのは、とてもありがたい事で。
ここから居なくなったのは、とても悲しい事で。

君がここに居るのは、とても幸せな事で。
そして二人が幸せなのは、とても嬉しい事だ。

絶対的金銭感

個人の視点により、収入が100万円の時点での10万円と、1000万円の時点での10万円の価値が違うように、
金の価値というものはその主観によって相対的に持つ価値を変える。

洋服に使う1,000円の差は大した問題に感じないが、2,000円のランチと1,000円のランチでは大きな差を感じる、といった具合にだ。

例えばこういう行為には矛盾がある。

1.近所に100g150円で旨い牛肉を売っているのに、100g 90円の牛肉を買いにとなり町まで行く

⇒ 500g買ったとしても、総額は750円と450円で300円の差。

給与全体に対して、約0.1%のインパクトしかないものに、多くの思考と労力を割き、劣悪な海外製商品を手にする。

2.1,000円の本を買うのを躊躇し、300円の読みたくもない古本を買う。その一方で6,000円の「結果が見えている」つきあい飲みに行く

⇒ 300円と比較すると1,000円の商品が高く見え、結局「安物買いの銭失い」になる。

なのに、「つきあい呑み」には6,000円以上をだらだら使う。

このコストを削減すると、6冊も同じレベルの本を購入することができる。しかもその時間を生産的活動に使うことができる

3. 毎日500円のランチを食べて、30円の納豆に、20円の卵、60円の飲み物をのみ(2食計220円)で計720円

⇒ 健康を破壊している。長いスパンでみると、治療費により高額のコストが掛かることも考えられる…。

上記のように目の前に何らかの数字が出されることによって、それが判断基準(アンカー)となり、その後の判断を左右することを心理学・経済学の用語で”アンカリング効果”と言う。合理的な絶対的評価ではなく、最初の数字やモノを基準とした相対的評価になってしまうということを言う。

その都度は合理的であるようでいて、全体的にみると全然合理的でない自分。
できるだけ客観的に自分を見、限りあるコストと時間を効率的で有意義な形で振り分けないといけない。

下記に極私的なメモとして、自分なりの支出のルールを作りたい。

【金銭的価値における極私的メモ】

■10円単位
・むしろ安いものより、よいものを買うという指向性を働かせる事で“商品体験の経験”を得るほうがよい

■100円単位
・単発の数100円の支出で悩まない
・極端な手間を惜しまない。そうしたことでワンランク上の良い物/おいしいものを買う。
・自分の時間を持つ

・だが、日に100円が毎日かかる、日割りの単位の出費は細かくチェックする
※日々の出費は単純に×30倍となる(例)300×30=15,000円
・月割数100円の単位の出費は年に1度見直す

■1,000円単位
・単価1,000円単位でも価値のあると思うものは悩まない
・5,000円単位の出費は価値のあるものにのみ支払う
※付き合い呑みには出来る限りいかない

■10,000円単位
・本当に価値があるものを見極め、それにのみ支払う

■50,000円単位
・長く(3年以上)使えるもの/人生の糧となるものにのみ支払う
・自己成長の糧になるものと判断した場合には惜しみなく投資する

以上、常時リニューアル/修正をして参考にする。