僕が旅に出る理由

「本当にいきたい所に行き、本当にしたいことをする。」
それを君(わたし)はできているのか?

最も根源的な問い。
この問いが今回の旅の発端だった。

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振り返ると、この<わたし>はつくづくお人好しであった。
今までの私は、下記のようなルール(ごく一例)をいつの間にか作って、いつの間にか自分をがんじがらめにしていた。

・将来出会うかもしれない大事な人のためにお金をためなくてはならない。
・そのためには毎月●万円貯めなくちゃならない。
・だから生活を切り詰めないといけない。
・だから今は極力家にいるのが効率的である。
・よって、家でできる趣味(ゲーム/アニメ/料理等)をして時間を潰せ。

これはもう、一行目から破綻している。
だからそれ以降の論理は全て破綻している。

<将来出会うかもしれない大事な人>は今居ない。無を無担保に最優先事項としている。
仮に居たとしても、何故自分の生より優先して金をためなくてはならないのかの論理的理由が無い。

上記のようなルールはほんの一例だ。

・人付き合いが苦手だから
・ひとりで行動するのは好きでないから
・そういう人だから
・緊張しいだから

等といろいろと理由をつけて、何かすることに怯え、何もしないでせっせと(先の見えない(笑))将来のために根拠のない投資を続け、
未来を夢見て<今>を蔑ろにしてきた。

「本当にいきたい所に行き、本当にしたいことをする。」
などというのは、

<いつか出来る>ことで<今すべきこと>でないと、当たり前に思っていた。

なんで今まで気づかなかったのだろうか。
世の中の巨大な<当たり前>に巻き込まれて潰されるが、自らが潰されることにすら気づかずに緩やかに死ぬ虫のように私の個性は盲目で貧弱だ。

いや!寧ろその<当たり前>に積極的に加担することで、無根拠に自らを与える努力そのものが生きる理由にすらなっていた!

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母の死と、とある裏切りによって、その盲目性から目覚めた。

僕はこの旅において、今までの失敗を噛み締めながら下記のプロセスを辿ることになる。

上記の問題意識からスタートし、
自らの本当の心と向き合い、
本当に問題を解決する方法を探し、列挙。
場所と行為を選択した。

スケジュールを組立て、
資金計画と食料計画を立てる。
外部と折衝し、計画を裏付ける。

人を巻き込み、
自分を新たな所に置く。

そしてこのプロセスを経て、これから私は、

そこで起こる問題と偶然を楽しむだろう。
注意深く時を味わうだろう。

生を生として生きるだろう。

そこでは<彼の地にたどり着いたその未来>には、
晴れていようが、雨が降ろうが、人と交わろうが一人だろうが何があろうが、

「本当にいきたい所に行き、本当にしたいことをする。」

という事は<達成した私>が居るだろう。
課題を<少しだけ克服した私>が居るだろう。

その自分に思いを馳せ、そしてこの旅の意味を再び噛み締めながら、足を一歩踏み出す。
さあ、何が俺を待つ。

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