命の役割

母の癌が進行している。

始まりは、2月に肝臓に転移をした癌を切除する再手術をした後、現状認可されている抗癌剤TS-1もジェムザールも奏功しなかった為、一縷の望みをかけて、保険外適用の樹状細胞免疫療法を実施。
その1クールが終了した5月初旬頃。

母が腰に激痛を訴え始めた。

歩くこともできないということで夜中に救急で実家の側の病院を受ける事数回。
そこでの診断は、尿管結石とのこと。

不幸中の幸いと、実は僕は胸をなで下ろした。
骨転移ではないと医者が言ったから。
尿管結石なら治る。
骨転移でなければ、他のどんな病気でも良いと思った。

医者曰く、数日経てば結石も自然に出て、よくなるでしょうとの事。

だか、全然良くならない。
毎日、メールと電話で励ます。
昼も、夜も。
(痛みを訴える母を側で見ていた家族はもっと辛かったに違いない。)

地元の病院では埒がかないと、東京にある主治医の居る病院へ。
MRIやCTが空いていないと何度も断られるも、二度、三度としつこく受診し、臨時枠がないかどうか必死で交渉する。
三度目、やっとで撮ったMRI。

そこで、検査の結果が判明する。

二箇所の骨転移。
そして、肝切除後の肝転移再発。

即入院で、そのまま今に至る。

薄々分かっては居たが、認めたくなかった病名。プラスアルファ。
ちょっとだけ残っていた希望が僕の中で粉々に打ち砕かれる音を聞いた。
いや、言いすぎだ。

諦めた。
親の命を。

この二年間、色々必死に個人的に勉強した癌の知識全てが、最悪の事態であることを示している。
母の存命を否定している。
論理的に考えて、ステージⅣの最終段階。
治療の術は既にない。
今後は痛みを取り除き、最期を迎える段階に入る。

そう思っていたら主治医から、本人抜きで妹と二人でやっぱりその通りの告知を受けた。
その足で、本人にありのままと、上記の所感を自分の口から母に告げた。
「俺だったらそうして欲しいと思ったから」という単純な理由で。

直ぐに死には至らない。
次は、背骨の神経に癌細胞が浸潤することによる下半身麻痺が起こる。
そしてそれに伴う、歩行不全と排泄不能が起こる。
後、激痛。

想像を絶する恥と恐怖と苦痛だろう。

以前にこのエントリーで僕は、

【結局の所、人は自分以外の人間、ようは他人全ての思考や、その瞬間的な広がりや、その善悪の深度についてや思惑や愛や作為やそれらにまつわるすべての事柄について、自分を基準とした類推をする事しか出来ない。
<自分以上には決して>他人を理解出来ないという絶望的な谷は、そこに原因がある。】

といったが、まさにその通りだ。
俺はピンピンしている。痛くも痒くもない。
僕を産んで、育ててくれた母親ですら、その肉体的な痛み、そして心の痛みや苦痛は、僕の人生の範疇の以上には想像すらできない。
よって心から共感することもできない。

僕は今後、どのように母と向かい合えば良いだろう。
歩けなくなり、今生に希望が無くなった母と。

きっと正解はないままに時は過ぎていくのだろう。
その度々に自分なりの決断をしながら。
失敗も惨めな思いも、優しい思いも、悲し思いもしながら。

親は自身の最期を子どもに見せることで、最後の教育をするんだろう。

ここまで書いたが、どんな姿になっても母を母と思えるか、今のままの関係で居られるか、正直今の僕には自信が無い。
残酷なほどのリアリストな自分と、感傷的な自分とが同居している。
この絶望的な状況に於いて、まだ生に希望を捨てていない母も居る。
どんなに説明をされてもやっぱり現状に納得のいっていない家族も居る。

(逃げるにしても、向き合うにしても)それらに折り合いを付けて長男として決断をしていくこと。
その試練を与えることが、親の最後の役目なのだろうかと思う。
その対応を見せることが、子供の最後の親孝行なのかもしれない。
(裏切りかもしれないが。)

そしてその自らの決断が、僕の人生に最も大きな影響を与えるだろう。

清濁が混ぜあい、もがき、救いが無い。
瞬間、楽しく、笑いあった。
その事実。
その無価値と瞬間の価値の連続。
それが人生。

つまりここで言いたいのは、みんな、何でもいいから体が不調をきたした時には、(特に高齢になってからは)大きな病院に行った方がいいよ。
みんなのご両親が身体の不調を訴えられた時には、迷わず大きい総合病院に連れて行ってね。
まだ手遅れじゃないと思うから。