総括

サークルの夏合宿にお邪魔したときには、川端康成の「雪国執筆の宿」に行って来た。

川端本人による書などがあった。
あの奇跡のような端麗な文章が此処で生み出されたのかと思うと、感慨に浸らざるをえなかった。

さらに山中湖畔で行ったゼミ合宿ではみんなに個人行動のわがままを聞いて貰い、「三島由紀夫文学記念館」にも行って来た。

驚喜と感嘆で始終鳥肌が立ちっぱなし。
思想家としての三島というか、小説家としての三島の偉大さを展望できるいい機会だった。
下の写真は彼の生涯最後の原稿の最後の一文。

物というものには魂が宿るらしいのだが、多分原稿や書などといったらその最たるものであろう。
僕はそれらの遺品の中で、戦慄に近い喜びと、不思議な安らぎに包まれるのを感じた。
想像も絶する偉大な作家の御霊の宿る品々に囲まれて目を瞑る。
そんな贅沢。

遺品や足跡に、何故人は惹かれるのだろうか。
そこに「いた」や「した」と言うだけで、人々の心を捉えて離さない、その動機の源泉はどこにあるのだろうか。
「いた」ことには実際何の価値もない。
そこに価値を見出すのは観察者である我々なのだけれども、時空や事物を越えた様なんというか、魂の超越性的なものもあるのではないかと僕は感覚的に悟ってみたりするのだ。
僕のつたない筆では表現できない事が残念でならないが。

良い体験をした夏だった。
わがままをかけた友人達に本当に感謝。

2件のコメント

  1. 個人行動をも許せたのは、そこにしょうじの血と肉となるものがあると感じたからかもしれないね。

  2. いやいや実際に血と肉になりましたよ。
    旅は「とりあえずいってみる」もんだね。
    「考える」もんじゃないよね。
    うん。
    よかった。
    ありがとう。

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