風に吹かれて
当たり前に過ぎ行く毎日に恐れるものなど何もなかった。
本当はこのままで、そう、本当はこのままで何もかも素晴らしいのに。
明日にはそれぞれの道を。
追いかけてゆくだろう。
風に吹かれてゆこう。
エレカシの「風に吹かれて」の一説。
最近、大好きなバンドが解散した。
また、サークルの先輩が、大学を卒業して行った。
僕の大学生活はこの歌のようにまさに当たり前に過ぎていった。
その濃度と、その輝きと、その芳醇な薫りに気づきもしないで。
いや、気づいた気にはなっていた。
「大切な時間だろう。」
しかし、それは知ったかぶりに過ぎず、実感を伴うものではなかった。
こうして、リアルな時の流れ、その無常さに触れると、反定立として、その若さという、賢覧豪華な建築物の美麗と不可逆的なその破壊をはじめて意識するのである。
気ままに楽器を鳴らし、読書をし、悩み、部室で蒙昧と何時間もすごし、大いに議論をし、飯をかっくらい、安酒をあおり、空を眺め、落ち葉を踏み、雪を仰ぎ、太陽に目を細め、気心の知れた仲間と一寸煙草を吸う。
そんな、当たり前で、ごくありふれた行為のすべてが、輝いて見える。
これは断じて就職活動を控えた、青年が語る、困難からの逃避による泣き言などではない!
若さと、それを無駄に怠惰に、浪費する美しさ。
肉体の迸るエネルギーをもてあまし、それでいて自らの負った心の傷によって、体育会的な精神に馴染む事ができず、アンニュイな時間と空間をただ煙草の紫煙と、音の波動に委ねた、水母のような三年間。
いったい、そこに美がないとしたら、この世の何処に美があるというのか?!
書いていて、涙すらでてこよう。
悔しくてたまらない。
いくら泣き叫んで地団太を踏んでも美しい時は戻ってこない。
「時」という、巨大な車輪に、僕たちはいずれ飲み込まれていく。
それは恐ろしく巨大な装置だ。
形あるもの、なきもの、万物を飲み込んで、生々流転を繰り替えしてゆく。
「老い」は間違いなく僕らを襲う。
「老い」は間違いなく僕らの存在を今以上に穢れた、卑しいものとするだろう。
「老い」は間違いなく僕らという、記憶を無へと帰していくだろう。
その時に、その狭間に、綿々と続く生の営みのそのただ中に、僕らの青春の、若さの大伽藍が、黄金の輝きを放つのである。
僕らはいずれ、バラバラになって宇宙に帰ってゆく。
精神も、バラバラになって形をとどめないであろう。
何か、アカッシックレコードや阿頼耶識のような、記憶、記録の保持者、世界の監視者。
そういったものがいるのなら、僕たちの存在を見ていて欲しい。
若さというものを、浪費に浪費をしている、哀れで、ちっぽけな僕たちのことを。
世界の記憶にとどめておいて欲しい。
僕たちが見た全ての美しい思い出を。
最後に、エレカシのこの歌は、
さよならさ、今日の日よ
昨日までのやさしさよ
手を振って旅発とうぜ
いつもの風に吹かれて
と、結んでいる。
いろいろ悲観的なことを書いてしまったが、つまり、別れが悲しいのだ。
先輩にはやめて欲しくないし、ミュージアムには終わって欲しくないのだ。
こんな駄文を読んでくださる殊勝な方がいたとしたら、こんなものはすぐに忘れて、その栄光ある道を歩んでいただきたい。
この歌詞をお借りして、僕の旅発つ先輩方、仲間たちに向けての挨拶と替えさせて頂く。
ご健勝と、末永いご健康を心から祈っている。
これ読みながらWeezer聞いてたら青春時代のスクラップブック見てる気分になったわ。
どうしてくれる。
My name is Jonasで始まってOnly in dreamsで完結。
あ、泣きそう。
おお、ありがとー。
あんときは、ぜんぜん動揺とかしなかったんだけど、家かえってからさすがに混乱したよ。
そんときの気持ちをただ書いてみました。
Weezerやろうな。絶対。